大峰山山岳修験山行記

                     (奈良県吉野金峯山寺大峯蓮華奉献入峯修行)

                                                 2015/07/28   清藤  道男

吉野の山に初めて登ったのは、妻の癌手術の一週間前。京都・吉野桜ツアーに参加。京都の桜も醍醐寺始め、見事であったが、吉野の桜のすばらしさの方に惹かれた。山桜、ひと目三千本、下、中、上、奥と日を違えて咲く。ハイキングしながらの花見も良し。門前商店を覗きながら食べ歩きも良し。山々の連なりに、桜があちこちと咲き、ひょっこんと黒い瓦を覗かせている権現堂が、絶景である。妻は、帰ってすぐ手術をして、抗がん剤・ホルモン剤・放射線等の治療も行い、仕事もしていたが、5年目に入る頃から肺に転移が見つかり、どうしようも無くなった。5年を超せば・・・と言われていたのだが、超すに超せなかった。

  妻が亡くなって、山登りにもさらにのめり込んでいった。百名山にも挑戦し始めた。山は良い。一段一段上っていくと、やがて頂上の開けた絶景が見える。まるで、こつこつ努力をして、同じ事を繰り返し繰り返し行う中で、やがて頂上にたどり着き、景色が見える。言わば「悟り」の境地とでも言うような、心境に入ることが出来るのだ。そして、頂上の絶景は、極楽浄土である。

  映画「剱岳 点の記」に、登山家が出てくる。西洋から日本に入ってきた、登山である。装備も良い物がたくさん入ってきた。山を征服する。スポーツである。余暇の遊びでもある。しかし、私は、百名山を70以上登ってきたが、私の登山は西洋の登山とは少し違う感じがする。剱岳の映画で言うと、あの中に夏八木勲扮する行者が出てきた。あんな風になりたいなあと思う。日本の登山は信仰であり、修験である。そんな修験の登山をやってみたいと思って、吉野から熊野までの大峯奥駆け修験に申し込みをした。電話で申し込むと、初めての人は吉野から熊野までの修験は受け付けていませんとのこと。で、二泊三日の大峯蓮華奉献入峯修行(開祖・役行者が産湯を使ったという池に咲く蓮の花。その、蓮華を運んで参拝所や、山上が岳の大峯山寺に届ける。一泊二日の修行。)をまずやってみたらと言われた。もっと、がつーんと、きついのをやりたかったが、ま、初めてだからしゃーないか・・・。白の地下足袋と金剛杖は必ず用意。でも、一般参加者は、行者・山伏の衣裳はしなくても良いとのこと。ちゃんと申し込みをし、必要な物も買いたかったので、  4月京都・吉野桜ツァーに再び申し込んだ。今回は、1人で参加。吉野に着いたら、まず、「法衣と法具」の車田商店に飛び込んだ。桜も見事だったけど、今回は修行に参加するための準備。桜をゆっくり眺めること無く、車田商店へ。まずは、白の地下足袋。蓮華奉献入峯修行参加の事を伝えると、すぐ適当な物を選んでくれた。あと、白の足袋。金剛杖。値段は、木の種類でピンからキリまである。ま、最初なので安い物で間に合わせる。後は、衣裳だ。山伏の格好をするかどうか・・。これもピンからキリまで。白の上下で3万から9万辺りまで。あと、袴が2万から4万まで。袈裟、手甲、脚絆、ホラ貝・・・。うーん、とても無理。一般参加者だから、登山の格好で良いか・・。

  あと、ビジターセンターで吉野の歴史展を見て、受付の人と話をすると、去年参加した人だという。いろいろ聞けて、良かった。吉野まで来て良かった。後は、申込書を書いて、正式申し込みをすれば、OKだ。正式申し込みには、印鑑も必要。万が一の時の、自己責任。

 7月7日から9日が本番である。それまで、地下足袋を履いてのトレーニングもしよう。1日12時間ぐらい歩くと言うから、少し長いトレーニングも必要だな。ま、山ツァーで言うと、上級コース。でも、一日だから、登山としては、ま、普通。吉野の山は、小雨にかすんでいるが、霞たなびき、桜がここかしこに見え隠れする風情は最高である。蔵王堂の屋根がくっきりと見える。

 

   地下足袋は、結構歩きやすい。軽い、軟らかい、足にフィットしている。だから、靴擦れもしない。歩くのも軽い。下のゴムもしっかりしていて、岩でも滑らない。登山靴より歩きやすそう。練習も、そんなにする必要も無いぐらいだ。

  7月7日(火)

   新所沢7時20分・所沢で乗り換え。丁度、ラッシュ時で超混み。大きなザックをしょって長い金剛杖を持っているので、窮屈、不自由この上ない。金剛杖もおれるかと思ったほど。これも都会の中の修行なりか・・。

 池袋は、さらに人人人・・。日本の人口は、こんなに凄いんだあ。若い人だらけ。学校に行く人、会社に行く人。人で溢れ、余っている。年寄りでは、このラッシュ時は歩けない。山手線は、それほどの込み方はしていなかった。隙間が少しあるぐらいだから。

 東京で新幹線に乗る。指定席だから、座ってゆっくり新聞でも読みながら行ける。京都に着いたら、又ラッシュ。修学旅行の団体客も溢れていた。近鉄橿原吉野線特急に乗る。これで、1時間。流石に、客は溢れるほどはいない。だんだん行くにつれて、乗客もまばらになってくる。昼頃なのに、高校生が多い。もう、短縮なのかなあ。

 吉野駅に着く。昼飯を食べたいが、店が無い。ケーブルであがったところの方が店があるかな。昭和3年の日本一古いケーブルカーに乗って、山上駅に着く。目の前に、食堂。ここで、昼食。今日からは、寺のご飯だから、精進料理、修行者のご飯。だから、カツ丼を頼む。今のうちに、肉を食っておきたかった。今日は、蔵王堂では、蓮華会の法要と蛙跳びの行事が行われる。ただ、雨が降ってきているので、多少行事内容が縮小されるようである。店の人が、蛙跳びの行事の説明をしてくれた。

  むかし、山上ケ岳に参拝登山をする人たちの中に、不信心の者がいて 頂上の近くまで行ったとき、「信心が無くてもこうやって登れるじゃ無いか!」と、言った。すると、そこに大きな鷲が来て、そのものを連れ去り崖のてっぺんに置いてきてしまったという。そのものは、とても、その崖を降りて来れず、行者に泣きついたという。行者は、人間でその崖を降りてくるわけにはいかないので、その者をカエルに変えて降りられるようにしたという。カエルとなったその者は、蔵王堂まで降りてきて、「人間に戻して欲しい。もう、疑ったり、不信心ではいませんから。」と、泣いて願った。それを見て、行者は元の人間に返してやったという。それが、蛙跳びの行事だという。

  隣のテーブルで、昼食を食べている人は、金剛杖を持っていた。聞くと、何回も参加している人だった。そこで、荷物を集合場所の東南院に預けて、6時の集合まで散歩したり、蛙跳び行事を見たりして良いこと等聞けた。東南院に荷物を置いて、吉野奥千本まで行くことにした。時間がかかりそうなので、行きはバスで、帰りは歩いて降りてくることにした。丁度、バスが止まっていた。お客は私一人。運転手さんと色々話しながら奥千本まで。30分ぐらいかかる。運転手さんの父は、生まれてすぐ召集。やっと生まれた長男なのに、32才で戦死。母一人子一人の戦後。母は、必死に育ててくれた。でも、中学生になった頃、母は、心の病で病気、やがて母の死。「戦争は嫌だ。本当に嫌だ。」と。

 随分話し込んでしまった。で、終点、奥千本。小雨、谷間には雲がたなびいている。景色はあまり見えない。金峯神社。義経の籠もり堂等あった。お参りしていると、ご神体の奥を猫がすっと通りすぎだ。 ここの道は、山上カ岳登山口と書いてあるので、明日ここから登っていくんだろうなあ。紫陽花の花も、小雨に濡れて綺麗だ。

  下りでドンドン歩いて行く。人は誰もいない。 でも、すぐ目の前を鹿が三頭、通り過ぎていった。神の使いか・・。 猫に鹿・・。深い森の中、吉野の山の霊気を感じる。

  まだ集合時刻まで、時間があるので、蔵王堂まで行ってみた。すると、蛙跳び行事の最中であった。堂の前の広場で行われていた。回りには、椅子席があって、講や団体の人の席だった。その回りを一般の人が囲んでいた。思ったより、人は少ないと思ったが、カエル役の人の動きは、人混みでは、なかなか見えずらかった。石や近くのお堂の高いところから見ている人たちもいた。カエルの着ぐるみを着た人が出てきて、芝居仕立てでやっているのが、少し滑稽だった。こんな考えだと、私も、カエルにされる可能性があるかもしれない。信仰で来たのでは無く、修行・チャレンジという参加なのだから。

  蛙跳びの後は、山伏の人がたくさん出てきて、護摩を焚く?!お札など炊いていた。弓矢で四方の魔を払う儀式もしていた。ホラ貝も、沢山の人が吹くので迫力があった。吉野の山々に響き渡った。明日行くよーと、行っているかのように。式の最後に、お供えのリンゴを貰えた。これは、妻の仏壇に供えよう。

 5時20分少し早めだけど、東南院の受付に行く。受付は三人いるのに行列が出来ている。なかなか進まない。領収書もその場で書いている。さらに、初めての参加者には、1500円でお経も。その領収書も書いているので受付がなかなか進まない。だから、ずーと長く列が出来ている。参加費は二泊三日で3万円。

 大広間のような所に、沢山の人がいた。百人ぐらいかな?大広間のような所を3つ使っていた。布団も重ねてある。おまけに、飯前に風呂に入って下さいという。風呂にも入れるのだ。浴衣もあった。タオルと歯ブラシも。えー。民宿ぐらいの感じなのだろうか。もっと、苦行生活を予想していたのだが。風呂は、一つだけで、湯船は、六人ぐらいでいっぱいになる。しかし、気持ちよし。さっとあがって、浴衣でのんびりしていた。

  しかし、「飯の後、この部屋で結団式をするので、浴衣の人は着替えて下さい。」とのこと。とほほ・・。民宿じゃ無かった。

  7時、夕飯食事をする部屋に移動。お膳でご飯が用意してあった。正座。足が痛いが我慢。食べる前に、お経を読む。私は、お経を部屋に忘れてきていたので、隣の人に見せて貰う。難しい漢字。ふりがなは小さい。しかも、次々に読んでいくので、何処を読んでいるのか、何のお経なのかわからない。般若心経だけ少しわかった。「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。・・・・・・・・。」

 そして、食前観。

「吾今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵によってこの清き食を受く。つつしんで食の来由をたずねて味の濃淡を問わず、其の功徳を念じて品の多少をえらばじ。『いただきます』」

  うーん。文句は付けないけど、味の濃淡については言いたいけどなあ。品の多少もこだわるなあ。等、煩悩が脳にわき起こってきたが、食べているうちに、素直になれた。ご飯が美味しいのだ。魚・肉は無いのだけれど、野菜が美味しい。なすの田楽が美味しーい。温かい味噌汁。豊かな晩ご飯である。満足。

「食べるときは、喋らない。音を立てない。さっさっと食べる。」

「残さず食べて下さい。」

「残す場合は、最初から手を付けないこと。」

「食べ終わったら、お茶をすべての容器に少しずつ入れ、たくわんできれいにすること。 そのお茶は、ご飯茶碗にすべて集めて、飲み干す。たくわんは、音を立てないようにし て食べる。」

うーん。ご飯は美味しかったが、チョッと抵抗あるなあ。でも、たくわん拭きはやると思っていたので覚悟は出来ていた。ちょっと、却って汚いでは・・と脳に浮かんだりもしたが、煩悩を断ちきる。

 

  食後観

 「吾今此の清き食を終わりて、心ゆたかに力身に充つ。願わくば此の心身を捧げて、己が業にい そしみ、誓って四恩に報い奉らん。『ごちそうさまでした』」

  近くの人と食器を合わせて片付け。林間学校の感じだなあ。

7時半からは、大広間で結団式。

 「新客前!」 新客とは、初めて参加の人の事。40人ぐらいいた。私もその1人。対するところには、奉行(大先達、先達)が、ズラーと並んでいる。  新客の後ろの方には度衆(経験者)。合わせて、100人ぐらい。並び終わると、大先達が入ってきて、式の開始。大先達は、総監督、金峯山寺の貫首である。

 大先達の挨拶の後、諸注意。

「集団行動、文句は言わない、きびきび行動」

「ハイキングじゃ無い。ただ山を登るのなら、この会に参加する必要は無い。」

 

 9時半消灯

   だけど、私は、8時過ぎぐらいには、もうスヤスヤグースリ。

晩ご飯うまかったなあ(山では、もっとうまくない。)、暖かい布団で一人ずつ寝られる(山では、もっと狭いところだったり、二人で布団一枚の時もある。)、トイレも建物の中にあるきれいなトイレ(山では、ヘッドライトを付けていったり、紙も段ボールに入れたり、水洗では無い。)、あー、明日も楽しみだなあ(風呂にも入れたー。)。

 

 

 7月8日(水)

何か、12時頃から、どたどた。トイレだったり、荷物整理だったり。「山では、こんなことは無いなあ。時間まで、ギリギリ寝て、起きたらぱっと行動。」

 でも、よく寝た。

  2時半 起床の声と、電気がつく。

  ぱっと起きて、布団の片付け。荷物確認。トイレ。

 3時  朝食。山と同じように、朝食おにぎり、昼飯おにぎりの2食が置いてあるのかと 思ったら、お膳があって、温かい味噌汁があって、こんな時間でもちゃんとした朝ご飯。 昨日の夜と一緒。お経を読んで、「いただきます」本当に、有り難い。感謝である。お かわりも出来た。

  3時半 出発五分前には、並び終わっていなければ行けない。勿論、新客が先。つまり、先頭の先達(奉行)のすぐ後ろ。暗い中、慣れない地下足袋のフックがなかなか入らない。

「きびきび行動」「もたもたしない」用意の終わっている人たちからお経が始まる。焦る。登山じゃ遅れたこと無かったのになあ。

「ハイキングじゃ無い。」

「修行なんだ。」

「1人1人行者なんだ。」

「お経がわからなかったら、『勤行儀』を出して読め。」

「吉野の町中を歩くときは、鈴、金剛杖共音を出さないで行く。」

 3時半、東南院にお経を上げて、出発。町中に入ると、こんな夜中なのに、店の人や泊まり客の人等が合掌して見送ってくれる。自分が、行者になったんだという不思議名気分がしてきた。 真剣にならざるを得ない。ほとんどの人は山伏姿。登山着姿は、1割ぐらいか。途中、20人あまりが合流して、総勢120人。2列縦隊の大部隊である。少し行った先にある、勝手神社で読経。般若心経は必ず。あと、御真言という、サンスクリット語のお経。短いが、タイトルを大先達が行った後から、全員が2回繰り返す。

 本尊蔵王権現

  おん。ばさらくしゃ。あらんじゃ。うん。そわか。

 高祖神変大菩薩

  おん。ぎゃくぎゃく。えんのうばそく。あらんきゃ。そわか。

  不動明王

  なまく。さまんだばさらなん。せんだまかろしゃな。そはたや。うんたらた。かんまん 釈迦如来

  なまくさまんだぼだなんば

 諸天総呪

  おんろきゃろきゃきゃらやそわか

 白蓮華

  なむさだるまふんだりきゃそたらん

  次々に、お経が繰り返される。声を腹から出して読む。次から次へと、お経が続く。まだ暗いので、私は、なかなかついて行けない。まだどれを読んでいるのか、つかめていない。お経の後は、手で印を切る。何か、忍者のようでもある。格好いいなあ。印は、忍者の本で読んだことはあるが、覚えていない。

 奥千本の金峯神社に着くまで、2時間かかる。お経を上げたのは、神社だけで無く、義経追撃で無くなった坊さんの墓(覚範首塚)であり、お地蔵さんであり、古い寺のあったところ(牛頭園地)であったり、・・・・。この調子で行ったら、何時、山上ケ岳に着くのか・・・。着けるのか・・?!。「文句は無し」の声が、心に聞こえてきた。不満を抱いてはいけない・・・。薄明るくなってきたので、お経が読めるようになった来た。お経も、どれを読んだ後にどれというのが、わかってきた。大先達が、タイトルを読むので、真言は後に続けて2回繰り返す。独特の響くもあるので、「ぎゃくぎゃく」とか「うんたらた」とか「きゃろきゃきゃら」。今どれを読んでるのかが少しわかってきた。

 坂は急だが、お経を読むのが、身体のの休憩みたいになっているので、疲れは無い。 

  水分神社では、新客は300円払い、神社の説明やお祓いを受けたりした。古ーい神社で、秀吉の寄贈した輿もあった。

 神社とお寺が混ざっているのだが、明治の廃仏毀釈で神仏分離を強制される。沢山の僧坊が破壊される。

仏が権に日本の神として現れるという神仏習合・本地垂迹が定着していたが、明治政府の国家神道で国を治め、天皇を中心とした国家体系、宗教体系を確立するという方針の中で、神と仏の分離。仏の方を叩くと言う方向に向かった。神仏分離令によって、1874年(明治七)金峯山寺は廃され、蔵王堂は金峯神社の口の宮、山上の蔵王堂は奥の宮とされ、吉水院は吉水神社になった。東南院、喜蔵院等の住職は還俗のうえ、金峯神社の神職となった。神社は官幣社、国社、県社、郷社、村社等に格付けされ、その中に靖国神社も入り込んでくる。

  奈良の興福寺では、門、塀すべて壊され五重塔も25円で売りに出されたという。仏像などもたくさん壊された。うーん、タリバーンの仏教遺産破壊、ISの遺跡破壊と同じ事をしたんだ。この神仏分離は、日本全国、田舎の隅々、いろんな所で行われた。

 金峯神社に着いた。6時前。小雨が降ったり止んだり。おきょうを挙げたら、新客は百bぐらい下の義経の隠れ堂へ。新客全員でお経を唱える。その間、三グループに分かれて、一グループずつお堂の中に入る。中は真っ暗。義経は、追われてここまで逃げ、ここの中に隠れていたが、追っ手に気付かれて、戸を蹴破って逃げたという。そのお堂の中で、真っ暗な中、真ん中にある輿のような者に触りながら、ゆっくり回る。三週ぐらいしたところで、先達がガンガンと鐘を鳴らす。一同、びっくり。

「びっくりすることで、憑き物が落ちる。こだわっていた思いが消える、気持ちがある時点でスーと変わることもある。」「このお堂は、修験堂である。ここにあるのは、空である。」

  新客は、ここで300円払い、お守りを貰う。

さあ、いよいよ山登り。奥千本からの眺めも良い。雲が谷にたなびいている。桜が咲いているようだ。嬉しいなあ。先行き良いことがあるなあ、きっと。

「歩きも喋らない。」

「急坂では、懺悔懺悔 六根清浄を先達の後に大きな声で唱えること。小さな声だと、 却ってバテる。

 喋らないというのが、つらいなあ。喋りたいなあ。あれこれ聞きたいなあ。思ったことを喋りたいなあ。でも、無言。歩きながら、いろんな事が浮かんでくる。自分と心の中で喋っているような。ま、これも大事かな。内省と言うことかな。歩行禅というのもあるのだから、無言でひたすら歩くというのも良いのだろう。道は、土の道で歩きやすい。谷も深くて、痩せた道もあるが、気をつけていれば大丈夫。なんと言っても、緑、森、山の中。かすかに、渓流の水音。小鳥のさえずり。後は、120人もいるのに、足音だけが響いているだけ。これが修行。自分を見つめる。自然を体感する。小鳥と同じ空気を吸う。皮膚からも、森林浴。気分は、道元?!

 休憩の時、いくつかの注意。

「前の人との間を開けない。」

「笠は、法具だから、勝手に着けない。」

「カッパは、勝手に着けない。大先達が着けていないのだから、自分だけカッパを使うの は、利己愛だ。」

 なかなか厳しい。集団行動。軍隊に似ているのかなあ。登山とは違う。登山では、自己判断が大事。カッパが必要だと思えば、自分自分で着ける。誰かが命令したり、遠慮したりはしない。1人1人が自分で自分を守る。八甲田山の雪の行軍をちょっと思い出す。偉い人がいると、判断が鈍る?!「教え通り」は、反面、「命令通り」にすることになってしまわないか。

 結構急坂もある。「懺悔懺悔 六根清浄」の声が響く。急坂で苦しい中で、声だしは、なかなか大変。登山だと、「無言で、息を一定にし、足は小幅で、同じペースで歩く。」となるのだが。この修行では、「大きな声を出す。腹の底から声を出す。それによって、呼吸が安定する。気持ちも集中してくる。きついのを乗り越えられる。」となる。なるほど、色々考え方はある者だ。先達は、特に大変だと思う。声でもリードしなくてはいけない。息がハーハーしていたら、みんなに響く声は出せない。それだけ見ても、先達は体力も気力も充実しているんだなあと思える。尊敬できる。ジグザグの道、120人もいる長い列。先達の声が聞こえなくなることもある。しーんとする中、誰がが声出しをしてくれる。みんなは、感謝してそれに合わせる。山をやっていない人には少しきついのか。五人、リタイア。足がつった。もう、登れない。等の理由である。トレーニングしていない人には、きついだろう。

 休憩の時。

「先達でないものが、リードで声を出したらいかん。心を澄ましたら、声は聞こえる。その声を聞き取って、六根清浄を言うんだ。」

 うーん。よかれと思って声出しした人も、叱られる。難しいところだなあ。良いと思って、進んですることもダメなんだ。では、言うが通りにする。言われてないことはしない。余計なことはしない。うーん、ちょっと自分と違うかなあ。

  修験者の梵天袈裟。おまんじゅうのような形の4個ついているもの。赤が一番上の位。あと、紫や、紺、緑等がある。一休和尚大好きの私にとっては、位の差を衣裳で表すのは、好かんなあ。

 しかし、山道、何処までも何処までも続く。走っても行けないことは無いような、歩きやすい道である。最近は、トレイルラン(山道を走る抜けるスポーツ・若い人に人気)がはやっていて、この辺でも、吉野ー高野山、京都一周、吉野ー熊野などのコースがあるようだ。

  途中、百日回峯行を行っている行者にであった。髭ぼうぼうだが、三十代ぐらいの人かな。思わず、合掌。

  大峰山百日回峯行

   吉野から山上が岳までの24`を初めの五十日間は行って、山頂泊。次の日吉野に戻る。その後の五十日は、毎日、往復する。それで、百日の奥駆けという、修行である。勿論、雨の日も、台風の日も、体調の悪い日も、欠かさず毎日である。うーん凄いなあ。

  さらに、千日修行もある。

 大峰山千日回峯行

   5月3日から9月22日迄の間、120日歩く。それを、9年間続ける。夜中の0時半頃、出発、提灯1つ持って、夕方3時半戻る。おにぎりと水だけ。気候も体調も関係なしに続ける。山の風は、強いと人をふっとばすぐらいの力がある。毎日、毎日、118カ所お参り。何という荒行だろう。

 

  かなり、頂上に近くなってきたようだ。岩場も出てくる。クサリ場もある。

「鎖がついているけど、クサリを使わないで登ること。三点確保しながら。」

修行だから、鎖に頼らずと言うことだなあ。山登りで慣れているから、わりと平気。

 お経掛けの大岩と言うところに来て、登る予定だったが、風が強く、雨も降ってきて、登るのは中止。

 次についたところは、「西の覗き」。上半身を崖から乗り出して決死の思いをすることで、 仏の世界を垣間見るという修行。新客だけがやるけど、一人ずつやるので時間がかかる。待っている間、「身を乗り出して、逆さになるから、落ちそうな物は外しておいて下さい。」だんだん順番が近くなってくる。太いロープで、右と左の腕に輪を通すだけのシンプルな物。肩にロープを装着したら、後は両手を合わせて握る。両手を離さなければ、落ちない。離したら、お陀仏。問答も聞こえてくる。

「九日、十八日、二十八日を覚えてるか。」 「はい。」

「家族を大事にするか。」      「はい。」

「来年も必ず来るか。」      「はい。」

はい、しか言えないよなあ。なまはげみたいだなあ。ちょっと笑ったら、怒られた。ロープを持って、大きい声で問答をしている先達は大変だ。油断して、ロープが滑ったりしたら、一巻の終わりだから。
谷を挟んだ向かい側のとんがった岩場は、「東の覗き」という。今は使っていないが、不信心の者が鷲に置いておかれたのがここだそうだ。死んだりした人がいたため、現在はコースに入っていないという。

 さて、マットみたいなのがあるかと思ったら、岩のへこんだところにうつぶせになって、崖から前に乗り出す。すると、ロープが少しずつ緩められて、身体が少しずつ空中に出て行く。肘の辺りがこすれて、ちょっと血がにじんだ。 ま、でも、半身ぐらいかなあ。景色はよく見えた。しかし、仏さんは見えなかった。何処にあるの?  後で聞くと、岩の陰の方にあるみたいである。何だ、聞いておけば良かったなあ。でも、それほど怖い感じはしなかった。下の景色が、綺麗に見えた。極楽浄土??!でも、「いいえ。」なんて言えない。みんな、必死に「はい。」である。

 ここは、500円取られる。普通やれないが、先達に案内して貰うとやれるとのこと。

  新客全員終えて、後は、宿坊までわずか。

 汗と小雨とで濡れた身体は、ドンドン冷えてきた。宿坊についたら、外に敷いてあるブルーシートに荷物を置いて、5分ほどで行ける頂上の大峯山寺へ一気に向かう。着替えたり、ましてやカッパを着たりなんかできない。

 大峯山寺は霧に覆われている。しかし、さっと並んでお参り。読経。並ぶのは、大先達、先達、山伏の格好の人、一番後ろが新客。  その順番で隊列を作る。

 お経を読んでいる時間も、長い。途中途中で参拝したときよりも多くお経を上げている。無事ついたという報告もあるのだろうなあ。たっぷりのお経で、身体は、ドンドン冷えてくる。6時頃になっていて、腹も空いてきた。

「いかん、いかん、雑念。欲望が、渦巻いている。懺悔懺悔 六根清浄 六根清浄・・」お経が終わった後、「新客には、特別、秘像を見せる」とのこと。

 開祖の役の行者が、悟りを開いた後、水に映った自分の姿を掘った像。うわー。凄いなあ。そんな凄い物が見られるなんて、信じられないなあ。1300年も前のことか・・。

  見終わった後、外で、護摩を焚く。火が激しく燃え、煙が舞う。少しでも暖まろうと、火に近づく。「うーん。これも欲望で、浅ましいことか・・・。色即是空。」

  6時半頃、全部終了。

 並んで宿坊に戻る。風呂があると言う。冷えた身体に最高だなあ。と、思ったが、「一人おけ3杯だけ。湯船には入らない。」狭いところでだが、三杯の湯でも有り難し。身体に湯が沁みていくようだ。しんどい体験をすれば、贅沢で無くても感謝の気持ちがわいてくる。有り難し。今まで、そんな経験無かったし。風呂、あるいは、湯も有り難いものなり。有ることに、慣れすぎているかも・・。合掌。

 新客と度衆さんとは、廊下を挟んでの別の大広間。度衆さん達は、もう布団を全部敷いている。こちらも、それを見て真似して全部敷いた。荷物を整理していたら、「ここは、夕食の後、全員集合するので布団は敷かないで、元有った場所に片付けること。」がーん。初めから、そう言ってくれれば・・。もう、全部敷いちゃったよー。 

 「文句は言わない。」でも、合理的じゃ無いなあ。うーん。合理的じゃ無いことも、必要なのかなあ。文句を押し殺して、片付け。「よかれと思っても、やるな」ということか!!体験、経験、まずは、やってみて・・・。懺悔懺悔・・。あー、裏目。

 「新客は、夕食の手伝い。」 布団を元に戻し終わったら、夕食の手伝い。台所に急いで向かって、「何をしたら良いですか!」と。

 木のヤカンに入ったような味噌汁を運び、テーブルに置いてあるお椀に入れていく。空になったら又、もらいに行く。「そこの6つは入れない。」意味がわからなかったが、後から聞くと、「大先達達、偉い人の分は、来てから、注ぐんだよ。暖かいのを飲んで貰うために。」うーん、なるほど。ご飯をよそって、おかわり用のお櫃も置いていく。「おーい、これ、運んで。」呼ばれていくと、麦酒。「えー。今日は麦酒付くの?冷えた缶麦酒をお膳に一個ずつ置いていく。準備が出来たので、2階の度衆の人たちに声かけする。そのうち、テーブル六人に一本ずつ冷えた日本酒の一升瓶が置かれていく。う・・。ひょっとして、これも飲めるのかなあ。

 読経と挨拶の後、説明。

「今日は、護摩酢(麦酒)が一缶ずつ出ています。感謝して、飲んで下さい。飲めない人は、台所で、ジュースと交換して下さい。又、冷えた般若湯もあります。これも、感謝して戴いて下さい。」

  缶麦酒うまし。いや、護摩酢旨し。喉が鳴る。食道を通って、五臓六腑に染み渡る。いっぱい喋りたいが、静かに飲む。般若湯も戴く。隣近所は、皆、ご飯にかかっている。でも、私は、人に勧めながら、自分の茶碗にも般若湯をたっぷり注ぐ。冷えた般若湯はうまーい。良い般若湯だ。冷えても、湯だ。さらに進む般若湯。流石に、ごちそうさまの気配が漂ってきたので、最後のいっぱいを入れて、ご飯を急いで食べる。食べ終わって、般若湯をゴクリ。うーん。極楽極楽。たくわんが付いていないので、食器をきれいにふくことも無い。回りには、柴漬けで、同じようにきれいにふいている人もいるが・・・。

 あー。美味しかった。感謝。合掌。しかし、私のテーブルの一升瓶には、まだ、4合ぐらい残っている。もったいないなあ。「これ貰って良いですか?」とは、流石に言えなかった。もったいないなあ。

  片付けの終わった後は、新客の大広間で、お話会。私は、何しろ、寝ないようにだけ、注意。話は、ほとんどわからず。良い気持ち。ここで、スーと寝たら、天国だなあ。しかし、寝ちゃいかん。罰が当たる。偉い人のお話。

 やっと終わって、布団を敷き。スー。「明日の起床は、5時半。」グースリ、すやすや。

7月9日(木

 5時半起床なのに、みんなもう起きている。5時前。ま、でもよく寝た。気持ちよし。

6時、山頂の大峯山寺でお経。林間学校のラジオ体操みたいなもの・・・。声のラジオ体操とでも言えるかなあ。腹から声を出すのは、気持ちよし。呼吸があがってくる。身体が目覚めてくる。空気が、体中に行き渡る。みんなの声がそろってくる。低音が、身体にしみいる。良い声だなあ。

 

 6時半。朝食。昨日のように、新客が手伝い。配膳。味噌汁。「昨日の缶麦酒、いや、護摩酢はうまかったなあ。」

 7時には荷物を運んで、お経。トイレもゆっくりする時間なし。「さっさっとやる。」

下りは、2時間一気に降りる。木道の階段も多し。でも、歩きやすい。朝の風を切って、黙々とどんどん標高を下げていく。付いたところは、沢山の碑が建っていた。お墓じゃ無い。そもそも、金峯山寺は、お墓を持たない。檀家がいない。その代わり、講の人たちが支えている。蔵王堂までは、バスに分乗して1時間半。回りからは、トレイルランの話し、四国遍路の話、熊野までの奥駆け修験の話等耳に入ってくる。みんなまじめな人たちだなあ。付いたら、勿論、蔵王堂でお経。観光客や、町の人たちが合掌してくれる。なんか、いっぱしの修験者になった感じで、気持ちいい。でも、お経は見なければ全然言えず。中の暗い方では見えないから、入口近くの外の灯りのあるところで。

  で、全部終了。いや、お昼があるのだ。「うーん。自分自分で食べるのだったら、麦酒飲んでゆったりするのになあ。うーん。お昼は無くても良かったのに・・。人間ドックの、昼ご飯付きみたいだなあ。病院で食べても美味しくも、嬉しくも無いのに・・・。」なんて、心でぶつくさ言いながら。東南院の大広間に行くと、豪華お膳がズラーり。刺身もある、唐揚げもある、鮎の塩焼きも付いている。おまけに、端の方には、ビン麦酒のケースが何段も積んである。えー。まさか・・ぬぬ・。

 「えー。皆さんご苦労様でした。精進落としですから、感謝して、味わった戴いて下さい。喩えると、高倉健の映画を見て、その気分で映画館から出てくるみたいに、皆さんもいっぱしの修験者気分になっていると思います。それでは、ダメなんです。努力した、なりきって修行した、高揚した気分。それを、一度落とさなくてはいけません。みな、凡人なのですから。でも、何度も続ける中で、落としても落とせない核のようなものができてきます。それが大事なのです。ですから、護摩酢もたくさん飲んで下さい。凡人の世界に帰るのです。目を覚ますのです。」

そんな良いお話があったので、たくさん飲んだ。来てから、飲まなかった分以上も飲んだ。隣の人ものんだので、さらに飲んだ。上座の大先達の所へも行って、いろんな話を聞かして貰った。あまり覚えてないが・・。全体指揮の奉行さんは,市役所の職員だという。お坊さんでは無いのだ。うまかったなあ。導師であり、ガイドであり、添乗員である。声は、太く大きい。メリハリがあり、全体をよくまとめていた。その奉行は、飲まずに役所の方に戻ったという。去り際も見事だなあ。あの人と、話したかったのになあ。でも、大先達と話できたのも、光栄である。感謝。合掌。

 もう、大広間には、上座の人の他には、十数人。流石に、もう、遠慮しよう。お開きにしよう。坊さん達も疲れているだろうから。

 私も、すっかり、普段の酒飲みに戻ってしまっていた。吉野を後にする。

 四無行  断食・断水・不眠・不臥

      足かけ、9日間   10年前から、身体の中をきれいに 

                      三ヶ月前から、断食を少しずつ

  比叡山にも千日修行がある。あこがれもしたときもあるが、今になっては無理だなあ。しかも、信心が足りない。カエルにされた人と同じだ。「西の覗き」で来年も来ると言ったが、どうかなあ・・・。挑戦、トレーニング、精神修行・・・は、わかるが。仏教を信じているわけではないし。

 お釈迦様は尊敬しているが。悟りに向かい努力する、人のために一生懸命になる。そんな人になりたいと思う。孔子や荘子も好きだ。物の道理、自然の成り立ち、いかに生きるべきか・・・。どれも、自分も努力して学びたいと思う。「朝に道を聞かば,夕べに死すとも可なり。」(孔子) キリストも偉いと思う。聖書を読んで、あんなにみんなのために一生懸命やっているのに、信じられず。幾度も奇蹟を見せる。沢山のパンと、沢山の葡萄酒を出してみんなに食べさせる。目の見えない人を見えるようにしてやる。しまいには、死んで生き返ってみせる。何と、信じない人々であるのか。
「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」と教えているのに、何で人々は殺し合い、戦争をし合うのか!!キリストが、今いたら、憲法九条を勧めるだろうに。

 宗教の中には入れない自分がいる。私は、自由主義者である。人間主義者である。人を信じ、愛している。神様のせいにしない。自分の責任、人の責任で平和で幸せな国を作っていかなければならない。その為に、努力しよう。挑戦しよう。修行の場は、国会の周りにもある。         

                 合掌