「いま福島から伝えたいこと」参加応援の旅

                                           2016.3.11〜13      清藤

 

   オリンピックのための国立競技場が、誰が責任を取るでも無く新しい案に決まり。

 エンブレムも盗作だとか・・。新しく決まった国立競技場には、実は、聖火台を付けるのを忘れていただとか。この国の指導者は、大丈夫なのか?!

 被災地復興は、大丈夫であるのか。5年目を迎える福島は、どうなっているのであろうか。少しでも応援したい。福島の人の思いを聞いてきたい。国や東電は、ちゃんと責任を取っているのだろうか。福島の人々の願いに応えているのだろうか。

  (株)たびせん・つなぐの二泊三日のツアーに参加することにした。しかも、「世界がもし100人の村だったら」の池田香代子さん同行の旅である。池田さんは、「夜と霧・新版」の訳者でもある。「エーミールと探偵たち」、グリム童話なども訳している、ドイツ文学者でもある。「世界平和アピール7人委員会」のメンバーでもある。凄い人が一緒に行ってくれるんだなあ。有り難いなあ。嬉しいなあ。話したことは、逃さず聞き取るぞー。福島の旅、楽しみだなあ。

 

 いわき市に友人の山田さんがいるので、2013.1、いわき市を訪ねた。「いわき万本桜運動」の取り組みも紹介して貰った。見渡す限りの里山を桜で埋め尽くそう、1人一本ずつ桜の苗を植えて大きく育てよう、山一杯の桜にしよう、という運動だ。山田さんは、そこでした草刈りや苗木の手入れなどのボランティアもやっていた。車で行った四ツ倉漁港には、海岸線が見えないぐらいの沢山のテトラブロックが山積みされていた。まだまだ、瓦礫があちこちに高く積まれていた。美空ひばりの歌でも有名な、「塩谷岬」にも行ってみた。すぐそばの中学校は、全滅であった。プールには、瓦礫が山積みされていた。11日は卒業式が終わった後だったので、子ども達は無事だったとのこと。ほっ。

  塩谷岬は、岬には小高い岩山があり,その岩山が店を守ってくれたと言っていた。お土産屋さんの店内には、津波の写真が沢山貼られていた。小名浜漁港も見て回った。魚市場は開いていたが、売っている物は、すべて、他県産か外国産の物であった。以前旅行で来たときには、福島県産の魚が溢れていたのだが・・。

 Jビレッジにも行ってみる。サッカーコートが16面ぐらいもある。超広いサッカー場である。全部のチームが一斉に試合も出来てしまうぐらいの規模だ。で、Hotelもある。それが、今では、いちめん、駐車場だらけになってしまっている。豪華ホテルの前も、草ボウボウ。白い防護服を着ている人たちを乗せたバスが幾度となく行き交う。

   ボランティアで、家の片付けも一日やってきた。除染された家の、いらない物を捨てる仕事である。除染は、家とその回り。だから庭の木下などは、線量計で測ると1.4もある。広野火力発電所の近くの凄い広い瓦礫置き場に運ぶ。  怒っているような顔の警備員が、あっちに捨てろというように指で指示する。黒いフレコンバックがうずたかく積まれている。

  二度目のいわき市は、2013.6。ボランティアで、広野町の一時帰宅している家の、いらない物片付け。仮設に住んでいるおばあさんの実家の片付け。いつか帰れるように。いらない物を片付ける。私は、2回目なので慣れたもの。広野町のゴミ置き場へ。前回よりも、広くなっている感じがする。ゴミも山ほどもある。分別もしてあるので、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりで、トラックの中の物を置いてくる。片付け終わると、 おばあさんがお茶とジュースを出してくれた。ここまで、バスで来ているのに荷物が大変だったろうなあ。バス停から、家まで、重いジュースを持って歩いて来たのだ。私達のために、買って持って来てくれたんだ。八十過ぎぐらいのおばあさんの優しさに疲れも飛んで行ってしまった。

 片付け終わって、楢葉町の方に行ったが、コンビニも、ガソリンスタンドも、そば屋もすべて閉まっている。天神岬に行ってみると、遠くに第二原発が見える。見晴らし最高の処。ブランコなどの遊具も使われなくてかわいそうである。線量計で測ると、0.69。いわき市の山田さん宅が、0.16だった。ここは、まだ高いな。海が見渡せる、最高の場所なのになあ。

 富岡駅は、ひどかった。駅舎は無く、ホームと階段だけ。線路の中には、電車じゃ無く、自動車が横たわっている。少し先には、漁船が3隻も横たわったままである。こんな駅の近くまで、船が流されてきたのだ。 大きな、りっぱな屋敷も畳がひっくり返ったまま。民家の中に、自動車が突き刺さったままの物もある。時間が、3.11のままで止まっている。人は、誰もいない。たまに、パトカーに会うぐらいである。富岡駅の放射線量は、0.45。草原に入ると、1.43。国道に戻って少し行くと、通行止め。ここまでで、あとは入れない。

  その後、ちょくちょく行こうと思って、ボランティア保険にも入ったのだが、山田さんの都合が悪かったり、山田さんがカンボジアボランティアに行ったりで途切れてしまった。震災5年目の今年、なんとしても行きたいと思った。そこへ、このツァーである。気合いが入った。

 

 

 3月11日(金)  東京駅集合

 小雨降る、寒い日。7時50分集合。34人で出発。いわき市現地参加の人で、もう1台。さらに、北海道からの参加者30人で、さらに1台。都合、バス三台約90人の参加である。添乗員は、黒田さん。池田香代子さんとカメラマンの沢口さんも一緒。デモクラTVの「5年目のの福島に会いに行く」の番組にもなるという。さらに、かもがわ出版の片山夫妻。

  かもがわ出版の片山さんが、伊勢崎賢二さんと神戸で「ジャズ火消しコンサート」(戦争やめさせようコンサート)をやったことから、福島と連帯して毎年何かやろうと言うことになったとか・・・。片山さんの話。

  1回目は、南相馬でイベント。蓮池透さんを招いた。蓮池透さんは、福島第一原発3、4号機の保守の仕事をしていた。かもがわ出版から、2009「拉致 左右の垣根を越えた闘い」、 2011「私が愛した東京電力−福島第一原発の保守管理者として」の本を出している。このイベントは、双葉9条の会が中心となってやってくれたという。

  2回目は福島再生シンポジュウム。

  3回目もシンポジュウム

  4回目は、福島生業訴訟(3千人)、団長の渡辺さんに来てもらう。国と東電を相手に訴訟。裁判所には入れるのは、40人ぐらいなので、集会参加者のほとんどが外で待っている状態なので、待っているときに講演会をやっちゃおうと。浜典子、白井慧、・・・を呼んで。

「福島が日本を超える日」出版。生業訴訟を応援する、浜矩子・小森陽一さんと行く福島の旅。

  5回目が今回。「原発労働者」講談社現代新書を書いた、寺尾紗穂さんのピアノと歌。かもがわ出版は、福島と一体化しながら、取り組んできた。

 凄いなあ。こんな凄い出版社の人が乗っているんだ。しかも、何というアイデアと、出版の数々、人脈の広さ!!こういう世界は、初めてだ。人の名前も聞き取れないのもある。第一、私は、かもがわ出版の本は一冊も読んだことが無い。トホホ・・・。

  次に、奥さんの片山いずみさんの話し。「福島のお米は安全ですが食べてくれなくて結構です」 を書いた人。朝日新聞プロメティウスの罠でも取り上げられて、評判の本である。福島は、全袋検査をしているから、安心して食べて下さい。安全です。その主人公の三浦さんも、バスに乗って案内してくれるという。凄いなあ。「長く笑顔で戦っていきたい」という人だそうだ。なるほどなあ。笑顔が一番。闘いの中にも、笑顔。

 片山さんの本でますます、三浦さんも注目されるようになってきたという。NHKも取材。三浦さん達が運営している「野馬土」という所にも行く。野馬土って、何だろう??!。

 

  今度は、池田香代子さんの話。

「今年は、5年目で注目が集まっている。福島のお米。全袋検査。60`を1000万袋検査!!玄米で検査し、去年、一昨年と25ベクレル超えた物なし。(ちなみに、25ベクレル以下は、計れない。それほど厳密な検査。)精米すると、八分の一ぐらいになり、炊くとさらに減る。安全、安心である。野菜は、抜き取り検査をしている。魚は、一週間一回の試験操業。県の検査と自分たちの自主検査。鮟鱇で、ベクレル出たことは無い。浅いところのカレエ(大)では、出ることもある。ずーと漁をしていないので、大きな魚がうじょうじょいるという。今回、約90名の参加です。二泊三日の旅の中で、元県議・元高校教師・原発問題全住民運動全国連絡センターの伊藤たつやさん、野馬土の三浦広志さん、生業訴訟原告団団長の中島さん、子どもチームの佐藤夫妻、広島で長く放射線治療に取り組み、地元に帰ってきてわたり病院院長の斉藤おさむ先生等沢山の人の話を聞く事が出来ます。」

友部SAでトイレ休憩。バスに乗り込むと、池田さんの話。

「つくば航空隊は、この近くの金谷から飛び立ちました。私の叔父もそこにいました。この航空隊の1人が『永遠の0』のモデルになっています。何とか保存しようと、壊すのを先延ばしにして貰っていた。が、不幸なことに!?この映画の撮影でも使われました。『夜と霧』の最初の翻訳者である霜山徳爾さんは、ここで軍医をしていました。叔父も、霜山さんにお世話になったこともあるでしょう。私が、『夜と霧・新版』の翻訳をするというのも何かの縁でしょうか・・・。」

 沢口さん(フリーカメラマン・今回はデモクラテレビの取材。)の話。

「鎌仲ひとみ監督と一緒で、六カ所村にも行っていた。後藤まさしさんの撮影もした。デモクラテレビの取材で、福島原発1号機内にも入った。阿部知子「原発0の会」の活動にも関わっている。内田さんと東京新聞ヘリに乗って、撮影。第一原発もヘリで撮影した。週刊プレイボーイの撮影で、海からいわき市を見る撮影もした。」

 

池田さんの話

「福島第一原発には、テニスコートや陸上競技場等もあったが、全部、汚染水タンクになってしまっている。桜の木もほとんど切られた。訪問者は、年間何千人も来ている。環境大臣とかは、しっかりしたマスクとゴーグル。メディアには簡単なマスク。食堂やコンビニが最近やっと出来た。」

 「デモクラテレビは、インターネットで見るテレビです。初め一週間無料。会員制で、月525円。インターネットテレビは、放送では無い。通信なのです。だから、放送法の対象にはならない。毎週5、6本。8時間ぐらい。アーカイブで全部見られる。BSパックインジャーナル(愛川欽也)等の系譜にもつながる。デモクラテレビは、3年目になる。『山口二郎のムホン会議』や「佐高信・早野透の寅さんとボク」「熟読!東京新聞」「池田香代子の100人に会いたい」「鈴木耕の原発耕談」、月一回のドキュメンタリー映画等と内容も豪華。荻原博子、田岡淳二、山田厚、下村光子、落合恵子等代表メンバーである。京都の鞄屋さんやたびせん・つなぐ等がスポンサーになっている。」

 凄いなあ。有るところには、あるもんだなあ。インターネットテレビかあ。私は、時代に遅れてるな。

 いろんな取り組みしているんだなあ。新聞やテレビではわからないことが一杯有るんだなあ。情報の立ち上げ、凄い。私は、やっと、「週間金曜日」を取ったぐらいなのに・・・。みんな、進んでいるなあ。

 

 四ツ倉サービスエリアで、伊藤さんと半沢さんがバスに乗った。福島の現状をガイドしてくれる人だ。二人とも高校教師だった人である。伊藤さんが、私達のバス。半沢さんは北海道の人たちのバスに乗った。

  早速、伊藤さんの話。

「現在、全町避難しているところは、六つ。人が住めないところは、香川県の半分の面積。広野町は、最初全町避難。現在は、避難指示解除であるが、4割の住民が未帰還。原発労働者がたくさん入ってきて、町の人口は、昔と同じ。仮設から、広野小学校へ通う子もいる。原発を受け入れたら、死ぬまで引き受けるしか無い。福島では、100年前水力、40年前火力もすべて東京電力で東京の人が使う電気。だから、原発で出来たゴミは、関東で引き受けて貰えないもんかなあ。無理だろうなあ・・・。

 Jビレッジ。原発労働者半数が宿泊(約3500人)。富岡高校のサッカー部の宿舎もあった。メーンスタジアムは、芝生がはがされ、駐車場に!! でも、今度の東京オリンピックで、サッカー練習場や練習宿舎で使って貰う?!  

 働いている人は、口止めされている。喋ると、首切り。ピンハネもある。原子力労働者の実態も心配。バス、24台が24時間、原発と宿舎を行ったり来たり・・・。復興本社は、富岡町に移る。

 楢葉町 戻った人は、62l。運転できる高齢者だけ。泥棒だらけになった時期もある。道の駅は、今、警察署になっている。

 3年で移転する約束だった、24カ所の仮置き場。もう、4年経つ。30年保管するという中間貯蔵所は、まだ出来ていない。でも、最終処分場もどうなるのだろう。全部除染した。草を刈り、屋根瓦一枚一枚拭いて、壁は高圧洗浄もした。しかし、帰って見れば、家の中は、動物の糞だらけ!!!。国の避難指示は、0.23が基準。0.23以上の所は、国が除染。0.23以下の所は、市町村が除染(お金は、国が出す。)。400年も住んでいるところ。家の周囲だけで無く、林もやって欲しい・・・。山林所有者は、山の除染を願っている。でも、国は、やらない。もう、お手上げだから??!!そこまで手が回らない。元に戻してくれないの?!東電さん!!!

 木戸川 鮭の遡上で有名だった。つりで鮭が捕れるので有名。簗場もアリ。それも、もう出来ない。

  天神岬 2013年に山田さんと来たところだ。芝は全部植え替えて、草も綺麗さっぱり苅られていて、ぴかぴかの公園になっている。以前7700人住んでいたが、現在は約600人。第二原発は楢葉と富岡に跨がっている。一つ市町村だと反対運動が強くなるとの警戒からとのこと。東電は、「廃炉にすれば、不良債権。電気足りなーいと言われれば、再稼働する。」なになに、第二原発の廃炉は決まっているわけじゃ無いんだ!!福島では、再稼働反対は、77lだというのに・・・。アベにも不支持は高いという。

  天神岬は、見晴らしの良いところ。公園には、テントが張られて、今日は慰霊祭の日。ツァーなのに、私達にも、案内してくれた。花を手向けて、お祈りをした。「原発が再稼働しないように。避難している人が帰られるように。」 亡くなった人の、ご冥福も祈った。  岬からは、田んぼに置かれている、沢山のフレコンバックの山が何とも悲しく見えた。

  伊藤さん

「福島県全59市町村と県議会は、原発10基の廃炉を議決している。広野町は、一番最後の議決だった。広野発電所の従業員・家族・東電関係者も沢山いるから・・。でも、銭・金では無い。楢葉では13人の死者だったが、その後震災関連死は続いている。」

  震災後、5年経って、初めて天神岬で慰霊祭が行われる。雪がちらほら舞っている。
テレビ局も沢山来ていた。

  4月楢葉中が開講する。40数人で始めるとのこと。原発事故後、伊藤さん宅には、45人住んでいたとのこと。

宝鏡寺の住職の田んぼにも、フレコンバッグがズラーと。真っ黒な袋が目立たないように、緑りのシートがかぶせられている。40年も反原発の先頭に立ってきた住職の田んぼに放射能汚染のゴミの山が・・。

 「断ったら、他の誰かの田んぼが、仮置き場になるんだから・・。やむを得ず。」

 

  楢葉町 宝鏡寺

   バス三台で、お寺さんに着く。本堂も90人入れば、狭い。小さくなって、昼の弁当を食べた。外は、雪が舞っていて、寒い一日である。5年前も、寒い日だったという。

 住職の早川さん。元高校教師。「避難者訴訟」原告団団長。76歳。620年続くお寺の、30代目住職。

「今年、9月5日避難指示解除。どうなるか、どうしたら良いか。賠償金は打ち切るという。復興という名で、反対のことをしている。若い人で戻る人は少ない。意向調査でも、同じ傾向。解除されても、実際に戻る人はさらに少ないだろう。年配の人は、何年かすれば、次々に亡くなっていく・・・。町はどうなるか?!原発の安全性、社会基盤の整備、
除染された廃棄物の情報等がはっきりしていかないと、町には帰ってこないだろう。

地震・津波で13人、地震関連死131人、関連自殺1人

東電に責任を取らせる。謝らせる!!!県議会で、東電の社長は、『人災か天災か真剣に考えたことは無い』と証言したという!!!!

スリーマイルやチェルノブイリの事故が起きたときは、『あんな馬鹿なことは、日本では起きない。』『ソ連は、遅れているからだ。』等と・・・。 全く学ばなかった。教訓にしなかった。1992住民運動全国交流センターでは、「原発事故、次は日本」と言っていた。

 ジャンガラ夏祭り(青年部)、春の花祭り(子ども達)・・・みんなの楽しみが、全部ご破算になりました。」

 

  バスで、富岡町に移動。富岡駅前は、駅の階段も無くなっていた。船も無い。津波で壊れた家や、車の突っ込んでた建物などみんな、綺麗に片付けられていた。除染もされて、綺麗な町になっていた。でも、住んでいる人はいない。まだ、居住制限区域である。駅から海に行く途中には、環境省の大きな減量化施設が建てられていた。
焼却したり、水分を抜いたり、圧をかけたりして容量を小さくするのだ。そばには、黒いフレコンバッグの山。

 2時46分。富岡町の防災放送で、黙祷の呼びかけ。環境省の施設で働いていた人たちも、海に向かって一列に並んで黙祷。私達も、海に向かって黙祷。

 「原発からの避難。一晩泊まれば、戻れると思って家を後にしたのだが・・。それが、5年も戻れ ないとは・・・。」

 コンパネ、10000000袋!!!!環境汚染の最大の物だろう!!!赤ちゃんと2人で、何が起こったかわからずにいた母子も。東電に電話で赤ちゃんを抱えての避難が大変だったことを話すと、「それが賠償に関係あるのか!!」だと。友人が東電に電話を何回かしたら、「あんたは、共産党か!!」だと。

 東電は、信用できない。親身になっていない。責任逃れをしている。賠償から逃げたがっている。富岡駅前の、新築の家。戻ってこない家には、賠償するが、帰ってくる可能性のある家には、賠償せず。だから、ローンを払い続けることになる。帰りたくても、帰れない状況に追い込まれていく。何故、こんな事になったのか!!!

 富岡町の「夜の森」桜で有名だ。桜のトンネルをバスでゆっくりとおる。もうすぐ、桜は咲くというのに、誰も花見が出来ない。隣近所、仲間で、ゴザを敷いてお花見。団子や卵焼き。大人は、酒でわいわい。やがて歌も出ただろうに・・・。
ふるさとを原発に奪われたのだ。花見も奪われてしまった。帰れない。ふるさとに戻れない。原発に、ふるさとをもぎ取られてしまった。

 双葉町は、財政は、夕張に次ぐほど大変だった。で、原発7、8号機の要望も震災前には出していたとのこと。町の道路を挟んで、左側は、補償70l、右側はバリケード封鎖してあり補償は100l。左側の地区は、来年3月で避難指示解除。で、ここに帰ってきてもどうなるんだろう。右側の家の人たちは、帰ってこられないところ。片側だけで、毎日生活するわけ!!ふるさとが分断されていく。生活も保障も心も、引き裂かれていく。浪江の小学校の子ども達は、全国40数校に散らばっていったという。「夜の森」の桜並木のすぐ近くの富岡二中は校庭は草ボウボウ。体育館も卒業式のまんま。

 

 福島・清水教授「原発を誘致して財政再建をした市町村は無い。次の原発を作らないと財政が回らない。」

 まさに、麻薬である。おまけに、核のゴミをどうするかも決まっていないのに、良く、再稼働などするもんだ。福島の原発ゴミだけでも、まだ仮置き場。その先、中間貯蔵所はまだ。 さらに、最終処分場は??!!「永久仮置き場だ!!」と、言われているぐらいである。 どうするの?!?!

(池田香代子さんの高校の同級生が、清水教授と鎌田実医師だという。)

新聞記事から

  ・九州川内原発半数のモニタリングポスト高い放射線量計れず。九電は、「事故が

  起きたら、計れるポストを運んできますから、大丈夫です。」(トホホを超えている。
  本気でそう思っているの!!??)

  ・2014/6 石原環境相 中間貯蔵施設建設を巡って

             「最後は、金目でしょ」

  ・もんじゅ 破綻明白。事故で、20年間停止。 でも、維持費は一日、五千万円  かかる。

  ・復興増税

   法人税は、安倍政権が経済成長を促すとの理由から、2014迄の2年間で打ち

  切り。所得税は13年から37年まで25年間2.1lの上乗せが続く。住民税

  は、14年から10年間一人につき千円多く払う。  
(庶民に厳しく、大企業に優しい。困っている人にきつく、富裕層に親切。何だ、この政治は!!!) 

 

 いわき湯本温泉「Hotel美里」に、到着4時半。5時夕食。6時出発。うーん。風呂に入って、のんびり一杯・・。どころでは無い。荷物を片付けて、すぐ夕食。飲まないつもりだったが、同室の鈴木さんが、「ちょっと飲もうか?」  断るという選択肢は持っていなかったので、熱燗一本だけ飲む。旨い。料理は、味わう暇も無く、食べて、すぐ出発。バスで、会場へ。

6時半〜9時「音楽とトークの夕べ」

  かもがわ出版とたびせん・つなぐの主催。参加者は、今回のツァーの90人と関係者。かもがわ出版の片山いずみさんが司会。

「福島の人の話を聞き、福島のことを考え、全国に福島の現状を伝えて欲しい!!」

いわき市市長からのメッセージも読み上げられた。寺尾紗穂さんがピアノを弾いて歌う。歌手なんだ。大学時代に、山谷の夏祭りに行って、そこで出会った「アジアの土()(かた)さん」の影響。3・11の前に聞き取りした物で書いた「原発労働者・・平時の原発はこんなふうに動いていた!」(講談社現代新書)  映画「闇に消される原発労働者」の主題歌も歌っているという。カバー曲。「死んだ男の残した物は」が良かったなあ。これが一番沁みた。3番目の娘に授乳していたとき、3・11。へー、3人のお母さんなんだ。見た感じ、20代かなあと思っていたのだが・・。人を見る目が無いなあ。

2015「楕円の夢」アルバムを出す。楕円は、中心が二つあり、色んな形になる。円は中心一つ、正解の形が決まっている。で、楕円に惹かれるという。平田俊子「ふじさん」に曲を付けた。別れの歌、関連死・・・。歌を歌い、詩を書き、本も出し、・・・凄いママさんだなあ。

 

2部はトーク。池田さんが司会。福島在住の4人と語る。

   伊藤さん・・・国勢調査では、過疎化・少子化が急速に進んでいる。帰還困難区域が  337平方キロもある。美田をつぶして仮置き場にしている。現在、26000カ所。  地獄の底まで、原発と離れることは出来ない。戦争の時より酷い。

 

  金井さん・・・母が大熊町出身。避難で、母の精神状態が不安定になった。叔父、叔母  も関連死。いわき市で中古の家を買って暮らしている。自分の楢葉町の家は、築5年  だった。3.11は雪のちらつく寒い日だった。翌日から避難が大変だった。原発ト  ラブルで、初めは、屋内避難。その後、全町民避難でいわき市に来た。帰りたいけど・  ・・、帰れない・・・。

 

  阿部さん・・・津波からの復興がまだまだ。原発全基廃絶もまだ決まっていない。いわき市は、震災直後から、水も無く、ガソリンも無く・・。店から物がなくなった。物資も人数分来ない。ガソリンも無く、いわき市に残るしか無かった。3日分の備蓄ではダメだった。一ヶ月水が出なかった。一ヶ月の間、知り合いの所で2回だけ風呂に入った。若い人は避難して戻ってこない。2度と原発事故を起こさないようにするために、訴訟を起こしている。毎土曜10人ぐらいで、反原発を訴えている。差別されないか?子どもが生まれても大丈夫か?等心配である。

 

  渡辺さん・・・市議。4号機の使用済み燃料用プールも危なかった。奇跡的に、工事途中で、隣の入れ替えプールに水が入っていたという。その水が、使用済み燃料プールに入って大事故を免れたと。福島で震災関連死は、2031人。或るおばあさんは、「私は、お墓に避難します。」と言って、自殺した。福島の、バッシングも大きかった。裁判で、「弱すぎるから死んだのでしょう。」という、東電!!!泪と苦しみが、被災者1人1人に一つずつ有る。夫婦で、一時帰宅して、止まって次の日に油をかぶって自殺した奥さん。夜は、夫の手を握って、ずーと泣いていたという。2015、福島だけで、震災関連自殺82人。隣近所やコミュニティーが壊れてしまった。

   トークの中で

・いわき市で、息子達が農業を始めていたが、震災の後仲間が帰ってこない。作った物も東京で売れない。結果、息子は農業を辞めて東京に行く。農業も買いたたかれて、あまり売れない。公民館に測定器があるので、それで測って、食べている。

・4号機が万が一のことを考えて、アメリカなどは、80`避難。

・いわき市に楢葉から来たが、地域になじむのも一苦労。ある人は、楢葉の友達に「今度から遊びに来ないで欲しい」と言ったという。やっとなじんできたのに、何時までも楢葉を引きずっていると思われたくないからと言う。

・「逃げろ」で、着の身着のまま逃げて、早5年。それがドンだけ大変なことか!!!

 

 9時過ぎ。終了。寺尾さんや池田さんの本を買って、サインをして貰う。

9時半過ぎ、宿に到着。湯本の湯は良いなあ。缶麦酒を急いで飲んで、スヤスヤ、就寝。

新聞記事から

  ・水位が下がりすぎれば、逆効果・・・。福島第一で345億円の凍土壁使えず。

  「アンダーコントロール」の実態に凍り付く。

  ・2015/11自宅から離れて仮設住宅などで生活する人

    岩手 24000人  宮城 55000人  福島 103000人

 ・震災関連自殺減らぬ福島。5年連続二桁。2015/11現在19人

  ・復興費用には、10年間で約32兆円かかる。被災者の生活再建に直接支給され

  るのは、約1パーセントに過ぎない。コンクリートに資金がつく。

 

3月12日(土)

 朝風呂に入って、朝食。飯も旨し。

8時 バスで、出発。バスの中では、三浦さんより、沢山の話を聞けた。

三浦広志さん(56歳)・・・NPO『野馬土』等、会社4つやっている。暗い話が多い中、なんとか明るい方へ、希望が持てる方へと進めたいなあと。3.11大震災発生時「命を守るデモ行進」で、相馬税務署にデモ行進していた。300人で、デモ!!!震度6強が6分間続いた。その後も、せっかく来ているんだからと、デモを続けた。

 原発から11`の自宅から、15`の小高工業高校に家族と一緒に避難。しかし、2000人ぐらいの避難してきた人で一杯。で、石上中学校へ。体育館は、遺体安置所。次に、相馬女子高。でも、「ここは、相馬市の避難所。南相馬の人は、出て行って下さい。」と。向かいの相馬高校へ行くと、体育館は、バレーの大会のための練習施設なのでダメ。やっと、相馬高校の2、3階の教室に避難できた。しかし、トイレが下まで行くので大変。毛布もあったのに、全員分ないから、もっと届いてから配りますとのこと。何だ!!!?(ここでも、変な平等主義。)その後、小金井市の娘のアパートに転がり込む。5月、やっと、仮設には入れる。

 避難した16万人には、避難命令は出ていなかった。5年間国とずーと交渉。牛を連れて、東電前にも行った。

 

 バスは、大熊町に入る。長者原は線量は10ぐらいもある。第一原発から、11`しかない。バスの中でも、34。燃料デブリを取り出すことが出来れば、かなり近くまで住める可能性があるが。1時、福島県民は、20ミリまで大丈夫だと。日本国民は、1ミリなのに!!!?

 

双葉町。ゴーストタウン。きちんと家も店も学校もあるのに、人っ子一人いない。町の全部が誰も住んでいない。住めない。帰れない。これは、大変なことだ。

 

浪江町。25千人いた住民。何とか、戻ってきて欲しい。で、5千人ぐらいのコンパクトシティー作りも始まっている。減容施設も出来ている。仮置き場は、あちこちにある。屋根が残っている家は、東電が補償。屋根が残っていない家は、津波で壊れたと判断して、東電は補償しないと!!!でも、帰ってこられないだろう。

 

請戸橋。鮭祭り等できた海に近い場所。請戸小の82人は山まで逃げて              助かったとのこと。山で待っているところへ、ダンプが来て子ども達を運んでくれたと。請戸小では、親への引き渡しはせず、全員、山へ、とにかく避難して助かったと。親への引き渡しで時間がかかっていれば、その最中に沢山の子ども達が津波の被害に遭ったかも・・。

「川や、海沿いに仮置き場がある。何故!!??海に流れて無くなれば良いと思っているのかも・・・。大水で、川に流れてしまえば良いと思っているかも・・・」現に、大雨で、黒いフレコンバッグが沢山流されたのも、こないだのこと。誰も責任を取らない。第一原発の汚染水が、海に流れているのもそうだ。

 

  「東電は、言われてからやっと、しぶしぶ認める。アンダーコントロールの安倍首相は、福島の高校の卒業式に来て、『福島の将来は、君たちの双肩にかかっている』と、話して不評を買った。」 そりゃそうだ。復興や将来は、政府や東電が責任を持って進めるべき物だろう。政府や東電が後始末をしっかり付けるので、君たちは、安心して勉強して下さい。と、言うべきだろう。

 南相馬に除染作業員は、16000人住んでいる。

 

 小高に向かう。小高の林薬局。鈴木安蔵さんの生家だという。京大・滝川事件に関わった。仕送りをしてもらい、自由民権運動や憲法草案の研究。戦後、憲法研究会に入る。1945.12.26に憲法草案発表。GHQのラウレル大佐に「自由主義的憲法だ」と評価される。GHQの草案には、鈴木安蔵の影響もアリ。

埴谷雄高の祖先は、相馬藩士。島尾敏雄の母の実家は小高。・・・池田さんのお話でした。池田さんは、何でもよく知っているなあ。凄い人だなあ。

 

  小高駅除染され、開通も間近。でも、まだ誰もいない。無人の駅。その駅前、改札口の所で、片山いずみさんと三浦広志さんのトーク。珍しい、駅前トーク。観客は、バスツアー三台の約90人。片山さんは、三浦さんを取り上げた本「福島のお米は安全ですが、食べてくれなくて結構です」の著者。三浦さんは、その本の本人!! 2015.3出版。朝日新聞からの取材などアリ。プロメティウスの罠でも取り上げられる。三浦さんの明るいキャラも好評。NHKや東京新聞、ラジオ等にも取り上げられる。東電の社員も読んでいる。原発の爆発が心配で避難した。線量が高いからではない。線量高くて逃げたのは、飯舘村だけ。あとは、爆発を避けて避難。

 若い頃は、「政府が言う前に逃げる。原発に何かあったら、稚内か九州に逃げろ!!」と、言われたもんだ。官公庁の人は、2年経つと転勤。霞ヶ関の人は、ここには来ない。現地の出先の人に任せるだけ。来たとしても、安倍首相みたいに、15分で帰ってしまう。霞ヶ関の人は、みんな、腰が引けて、だんまり。せめて、第一原発を何とか終息させて欲しい。

 若い人は、中々帰ってこない。帰ってくるには、時間もかかる・・・。夢の老人タウンみたいな物を作ったらどうか!!年寄りの施設を作り、若い人に介護をして貰う。賃金を上げ、良い住宅も作る。夢や魅力でいっぱいにする。若い人が戻ってきたくなるような、エネルギーのある町作り。3千人入る野外音楽堂とか・・。

本のタイトルは、「安全だけど、安心できるまで食べなくても良いですよ」と言う意味。農業法人もやっている。太陽光パネルも。決まっちゃうと、役所は良く動いてくれる。だから、役所にやって貰うことも必要。 

 切れのいい話で、なるほどなるほど。

朝日歌壇より

 ・「保管せる放射能汚染の牧草を 被爆牛に食わす悲しみ」渋間 悦子

 ・「『甲状腺検査』だといふ5時間目の古典の授業に 5人公欠」本田 一弘

 ・「蜂の巣に蜂の羽音せぬ真昼 除染といふは移染にすぎず」高野公彦

 ・「廃炉にす それが文殊の知恵だろう」毎熊 伊佐男

 ・「被災地で救助に当たる自衛隊 あの人達も戦場に行く」小島 敦

 ・「復興が個人任せになっていく」清水 方子

 

 次は、同じ小高区にある、希望の牧場   代表 吉澤 正己

   3.11のあと、原発の爆発で電気止まり、電気柵も役に立たず。飼っていた牛は、あちこちに散らばったり、死んだり・・・。国は、殺処分の命令を出したが、納得できなくて、飼い続けている。黒毛和牛や短角牛がいる。320頭。放射線のある稲わらやリンゴ、絞りかすなども食べさせている。売れない牛、売ってはいけない牛を飼っている。収入はなし。えさ代かかる。えさをあちこちから貰って食べさせている。白い斑点のある牛も20頭いる。放射能と関係あるか・・・・・? 原発一揆!!!牛のホスピスである。ずーと、死ぬまで面倒を見るつもりとのこと。ボランティアの募金で生計を立てている。

 

 バスで移動。昼食・海鮮定食。これが、実に旨し。一階は待っているお客で混雑。私達は、団体予約で二階。で、すぐに食べられた。ご飯も美味しくておかわり。刺身が又旨い。

 

 三浦さん・・・3年で無くなるとの約束の仮置き場。3年過ぎでいるのに無くならない。永久仮置き場!!見かけ上放射線を下げたい物だから、除染をしたり、単位をグレイにしたり・・。国や東電は、信用できない。

 太田地区、100ベクレル超えた。飛散防止剤を基準の100倍にも薄めて使っていたこともバレた。ばれなければ、あれこれやる東電。 こ米を作らなければ、賠償金も出ないことになった。何とか戻ってこさせて、賠償金を打ち切りたいと言うこと。南相馬の16000人の除染作業員は、3月で終了。撤退になる。4月には、小高工業高校も、小高に戻る。

 今こそ、福島で農業を!!これからは、農業が大事。

 

相馬市民会館

『原発事故から5年』 福島市わたり病院 斉藤 紀先生(原水協代表理事)

1945        1986       2011

ヒロシマ・ナガサキ      チェルノブイリ事故     大震災・原発の爆発

 原爆

 

 リトアニア・ベラルーシでは、子ども達に甲状腺癌多発。4000〜6000件。汚染されたミルクを飲み続けたこと。国民が知らない中で事故が起きていたこと。汚染ミルク、汚染牛乳を飲み続けた。人為的なものである。ヨウ素欠乏症の人が多い。(内陸・食生活)内部被曝をした。

  原発事故被災とは何か?生きる手立ての被害である。@土地と生業と家族の喪失(家族が避難でバラバラになる) A未来の喪失  B新しい打撃と複合

 家族の問題

第一撃・・・父母・子ども・配偶者等先立たれたものは死に到ることが早い。

第二撃・・・政府による救済が無ければ被災地の子の貧困深刻。

第三撃・・・TPP 米価が下がる。福島産が下がる。農林畜産業が壊れる。

 

 生業と家族の回復

 賠償は、打ち切られようとしている。廃炉がどう進むか。地域再建。町を返せ!!どう自治を立て直すか。賠償問題。現在六兆円。 20T6・3には、2年分を一括で払って、後は打ち切りという方向が示されている。風評被害も2年で終了。しかし、被害は拡大している。自治体が補填している状態。

 原発事故関連疾病・心身疲労 ストレスは、他の県の人の3倍。震災関連死・自殺が福島では減らない。心と体と社会に聴心器が必要だ!!!

  子どもの甲状腺癌は、小さい子ほど率が高いと言うことは言いがたい。5年の中では、断定できない・・・。ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリでは、癌が増えた。福島は、4ミリシーベルト、チェルノブイリでは、400ミリシーベルト。線量が多いと、甲状腺癌が増加。福島でもこれからの様子をしっかり見ていく必要がある。

  福島県民こそが・・・、だけが・・・、廃炉を見つめていける。

 

斉藤先生は、広島で長く被爆者治療をしてきた先生である。で、ふるさとに帰ってきて、その長い治療の実績が、さらに生かせる現場に来て、誠実に仕事をしている。

 

バスで、三浦さんの『野馬土』へ

  「野馬土」の意味は?・・・@仏語ノマドは、遊牧の民という意味。A野馬追いの土地 B野まど 情報のまど、世界に向けての。 そんな意味と願いを持つ「野馬土」

フランスが、600万円援助してくれた。米の全袋検査。相馬市農協を説得。「野馬土」にも、検査の機械がある。一番低い数字も、たまにあったが、今は、ほとんど出ない。屋根に、太陽光発電も付けている。一袋検査するごとに、200円受け取れるシステム。だから、みんなも持ってくる。賠償金で、機械や経費を出している。お店もあって、買い物も出来る。私は、福島産日本酒セットと野馬土Tシャツを買った。農産物も沢山売っている。

  

夕方近く。バスは、一路、Hotelに。松川浦のHotel『夕鶴』少し薄暗くなってきたが、海に向かって大きな橋がある。そして、港が近い。

風呂に入ったあと、夕食。晩飯で飲めるぞ!!嬉しいなあ。でも、交流も兼ねているので、何人かの人が指名されて、感想を言ったり、自分たちの活動のことを話したりした。私は、小さくなって、酒をグビグビ。旨いなあ。

  飯のあとは、爆睡。やはり、9時前に寝るのが良いなあ。

 

新聞記事から

 ・2014/12/2 坑道の止水断念。汚染水残ったままセメント投入。

 ・東電、推奨より10倍薄めて使う。福島第一原発の飛散防止剤使用で。規制庁

  「効果落ちた!」2013夏迄1年間続く。ずさん!!安全を軽視!!

 ・汚染水2015/12/26 一日200から300トン増。地下水せき止め、

  水をくみ上げ浄化して海に流す計画。しかし、トリチウム排水基準を上回る。地

  下水位も上昇。建屋内に水が入り込み、高濃度汚染水になったようだ。基準超え

  は海に流せず。

 ・2013/6  高市政調会長

  「事故を起こした東京電力福島第一原発を含めて、事故によって、死亡者が出て

  いる状況では無い。安全性を最大限確保しながら、活用するしか無い。」

 ・丸川環境相  年間1シーベルトに対して「何の科学的根拠も無い」

             「反放射能派が、」「わーわーわーわー騒いでいる。」

 3月13日(日)

 朝、早速風呂へ。朝日も綺麗に見える、景色も最高の所だ。しかし、ここも、大変な津波に襲われたという。ロビーのテレビで、ビデオを見ることが出来るというので、風呂から急いであがり、ビデオを見る。それは、避難した人が撮ったビデオであった。津波がやってきて、まさかそこまで津波が来るかという感じであった。一回ビデオは途切れる。撮影の人が危険を感じて、上の方まで逃げたから。少しして、再びビデオが始まった。高い橋の上を車が港の方に走っていく。多分、船を見に行ったとか・・・。しかし、少し立って、車は、山側の方に戻ってくる。橋の上は、高い場所だから、橋の真ん中にいれば、助かったのに、車の人は、流されて亡くなったという。港にいて、流された人もいる。ビルの2階に数人の人もいるのが見えた。あっちに走っていったり、こっちに走っていったりしていた。逃げ道を探していたのだろう。結果、2階の部屋で、津波をやり過ごして、奇跡的に助かったという。Hotel「夕鶴」では、老人会の宴会をやっているところだったという。終わって、帰る!!と言って、聞かない人もいた。しかし、歩いて帰ったが、歩いて行けず、すぐ戻ってきたという。家の人に内緒で、宴会に来ていた人もいて、家の人が亡くなったと思っていたら、次の日Hotelにいたことがわかって、無事を喜んで泣いたと言う人もいた。 結局、その日は老人会のみんなは、Hotelに一泊。Hotelより下の家は、一階部分が削られてしまったという。屋上から眺めると、取り壊された家のあとが、ぽつん、ぽつんとある。

 

バスで、福島市まで移動。移動の時間で、1人1人に感想等言って貰うタイム。うーん。修学旅行のようだなあ。でも、みんなの考えを聞けるのも良い。

Hotel「夕鶴」での、朝日の眺めが最高だった。

・自分の目で見て、聞いたことを、沢山の人に伝えたい。

・武蔵野市から来ました。福島からの避難した人で、「お金貰っているんだろう」と、言 われるのが一番つらかったと言う人が多い。  

・いっぱい聞いたことを、帰ったらまとめてみたい。42年前福島大学の学生だった。そ の時の友人が、富岡養護学校の校長をしている。県11カ所に子ども達は、分散。校長 は、毎日子ども達の様子を車で見回ったという。

・夜の森、塩作り、父の思い出が・・・。

・今回で、福島訪問は、10回目。写真集も出した。

・福島の現状がよくわかった。花のエッセーを自費出版した。

・初めての参加です。百聞は一見にしかず!!だった。

・宮代町に避難している、双葉町の人が双葉町町歌を歌ってくれたのが、とても良かった。

・反原発の中でも、大丈夫派と反大丈夫派が対立していないか!?

  思い込みで言う人に、どう話せるか・・。斉藤先生の話を、聞かせたい。

・トークの話や、いろいろ聞いたことが身にしみました。

・避難指示区域や帰還困難区域等を見て、洗濯物も干していない、子どもの姿も無い、道 一つ隔てての補償の線引き。帰れないんだ・・・。

・葛飾保育園。3.11の地震の時でも、子ども達はスヤスヤ眠っていた。夜、11時最 後の子どもの引き渡しを終えた。職員は、泊まる人もいた。

  美味しんぼ、母子避難、甲状腺癌・・・。沢山のことを考えさせられた。

 

 途中だったので、続きは、帰りのバスで。バスは、阿武隈川の堤防の近くに着いた。歩いて、堤防まで行く。福島市わたり。遠くには、雪をかぶった吾妻山。近くには、
花で有名な花見山が見える。

県労連の専従もしている主婦の佐藤さんが案内、説明してくれた。

 住宅街の除染は、環境省の管轄で、比較的早くに終わった。川、河川敷は国土交通省の管轄で最近やっと終了。渡利小学校では、川に鮭の幼魚は放流したり、川の源流を訪ねる学習をしたり、全校マラソンもやっていたりしたが、みんなダメになってしまった。

  2013・秋から散歩など出来るようになった。花見山も、一昨年辺りからお客が戻って来ている。

渡利小学校  600人弱 3.11のあと、耐震工事。校庭は、表土をはがし、校庭に埋めている。校庭に埋めて大丈夫かな??と、思ったが、大丈夫。1メートル掘って、シートをかぶせて埋めてあるという。プールの利用も、だんだん回数も増えてきた。

 しかし、学校の周辺の家の周りには、フレコンバッグが数個ずつ置いてあるところがいっぱい有る。ミニ仮置き場かな。でも、線量チェックは、しっかりやっているそうです。校庭には、線量計も3個常設。現在、0.116

   設で間に合わせる・・・。(インチキだろう!!!そんないかさまが認められる! 

 福島復興共同センター・子どもチームのお母さん達の話

 佐藤さん、穂積さん(福島医療センター)、村上さん(福島新婦人事務局長)、町田さん(医療生協)あと、佐藤さんの夫(キリン学童指導員『あの日からもずっとわたりで学童保育しています』かもがわ出版)も参加予定だったのだが、急な葬式が入って欠席。

  予め、バスの中で聞きたいことのアンケートを採り、それを元に話してくれた。

保養・・・福島を離れて空気の良いところで過ごしてくること

      三泊四日とか、年3回ぐらい学校で連れて行ってくれた。民間でも、色々あった。今は、あまり需要が無い。      チェルノブイリでは食べ物も、その場の物とか食べざるを得なくて、保養が必要だったと言うが、福島では、食べ物の線量検査をしっかりやっているので安心。当初は、原乳やほうれん草で、線量が高く出荷停止になっていた。他の地域のものも食べられたので、食の心配は無い。むしろ、親子離れることの方が心配。子ども達が不安になったりするから。色々ボランティア等で、保養をやってくれるが、行ったところ「持ち物は全部置いてシャワーを浴びて下さい。履いてきた靴は脱いで、別の物を履いて下さい。」等と言われた保養もいくつかあった。子どもにも、心理的ショックがあったようだ。屋外制限の時は、我慢がストレスになってたまったこともあった。

 

学校・・・2011・
夏迄に除染終了。プールは、室内温水プールに各学年、一回ずつ入った。高校は、
3年間プールダメ。理由は、線量の問題で、排水が出来なかったためという。校庭も外遊びもOK。2012には、窓を開けてもOK、プールもOKとなる。窓開けダメなときは、教室に扇風機4台置いていたが、鉛筆が転がったり、プリントが飛んだりして大変。伊達市では、すぐ、エアコン付けたという。しかし、全部の学校に着くまでは、スイッチずーとオフ。(何だ、変な平等主義?!?)2015・夏エアコン全部完成。で、やっと、スイッチオン。まだ、学校菜園ダメ。校外学習ダメ。

 魚釣りが趣味で、孫に食べさせるのを楽しみにしていた祖父の魚は、「食べられない。食べてはいけない。」と。どんだけ、祖父は、悲しかったか・・・。

 

学童・・・震災前に、位置づけがしっかりしていなかった。53学童有って、全部民営民設。で、除染も出来たのが、やっと、2012夏!!!学校と随分差がある。アパートを借りて運営している学童では、近くの広場が遊び場であるが、そこは除染してくれない。学童の前の神社も除染していなかった。阿武隈川でのたこ揚げ、坂滑り等まだ、出来ない。指導員の給料も低い。

 

里山・・・除染は、はっきり決まっていない。観光客が沢山来る花見山は、除染した。近くの、弁天山は、落ち葉集めや草刈りだけ。大きい子は、里山に入ったりもするが、基本、あまり行かない。外遊びの習慣も無くなってきて、ゲームに向かう子も・・・。

 

甲状腺癌・・・斉藤先生は、甲状腺癌は多発しているとは言えないと。今後も、継続検査の必要ありと。金曜夜の、「報道ステーション」では、ちょっとがっかり。専門家の意見も良く聞くが、冷静に。「冷静に恐れる」事も、大事。あのTVでは、福島の子どもや親は、どんな気持ちになっただろう。あれこれ意見があるが、もうしばらく、福島の子ども達のことを見守って欲しい。

「福島出身と言うことで、結婚とか避けられると困るなあ」

「興味本位で取り上げられると、嫌だなあ。」

「福島市に住むという選択が良かったのか、悩むときもある。」

「福島市を日本一住みやすい町にする!」

「日本で、3番目に大きい福島県をひとくくりで言うな。」

「住民の分断が、始まっている。『原発御殿』とか、言われたり・・・。」

「この次の事故も、日本で起きる・・・!?」

給食は、今でも毎日、すべての材料の線量チェックをしている。

 

お母さん達の話が聞けて良かった。2度と事故を起こしてはいけない。原発は、有っちゃいけない物だ。何とか、福島第一原発の廃炉を進めなくては。勿論、他の原発の再稼働なんて、とんでもない。事故が起きたら、ふるさとが無くなってしまう。帰れなくなってしまう。どんだけ大変な苦労を背負うことになるか!!!

新聞記事から

 ・東電 炉心溶融基準「発見」迄5

  追求続けた新潟知事 不信背景に 独自に検証

  東電は、何度も「基準無し」社内マニュアルに明記されていたのに、その存在に5

 年間気付かなかった・・・。   (開いた口がふさがらない!!!津軽では、

 『はんかくせ!』『ほんじなし』等と叫ばれるであろう。)

 ・原発避難 6割解除へ 来春まで4.6万人 帰還実現は、見通せず

   東電の賠償や国の支援策も縮小される

 ・追悼式 天皇陛下「私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人

 も多くいるのでは無いかと心にかかります。」(天皇の爪の垢を煎じて、安倍首相

 に飲ませたい!!)

 ・あまりの被曝量『話が違う』原発作業員・過酷な環境 6千人大半下請け

   被曝労働の多くは、下請け作業員 夏は倒れる人も 四次下請けも

 ・増える汚染水 一日550トン タンク容量ひっ迫 海洋放出狙う

   東電任せの政府  「責任は口だけ」  13年設置の「廃炉・汚染水対策関係閣

  僚等会議」は、2年半で二回しか開かれていない。

帰りのバス。続きの感想。沢山学び、沢山聞いた。二泊三日が、一週間ぐらいに感じた。 

・泥縄地区長さんの「忘れないでくれ。」が、心に残った。富岡駅の周辺は、震災の跡形

・メディアは、本当のことを伝えていない。「デモクラTVに入る!!」

・5年間父の介護をし、今は、孫の世話。インターネットニュースやデモクラTVを見て いる。

・狭山市でも、お茶の風評被害があった。3.11では、新宿の高層ビルにいた。30階 で、大きな揺れだった。机や椅子があちこちに動き回り、ぶつかっていた。ビルとビル がぶつかるんじゃ無いかと思えるほど揺れた。みんなで、ビル管理室に逃げ込み、TV で津波を知った。

・福島農民連の会長さんの話を聞いたことがあったが、希望の持てる話だった。日本の農 民は凄い。野馬土は熱かった!!

 

  よくわからないので質問した。

 鼻血問題。   漫画「美味しんぼ」で、福島の人の鼻血が出るシーン。作者は、その後、連載休止。オーストラリアに帰る。連載休止は、問題の出る前からの予定通り、オーストラリアも自分の本拠地で予定通り帰った。だから、連載中止の圧力とかは無い。これは、かもがわ出版の詳しい人からも確認して間違いないとのこと。

「低線量被爆で鼻血は出ない」が、科学的事実。インターネットでは、「鼻血が出て、プールの水が真っ赤になった」とか、変な噂を煽っていたり。

 私は、「週刊金曜日・5年後の真実」の中にある、「甲状腺癌数十倍発見」とか、6人の被災した母親の証言の中に、4人も子どもが鼻血を出して心配でたまらないという証言が載っているのを読んで、それで、バスの中で質問したのだが、池田さんや片山さんからは、前記のような答えである。去年の12月から読み始めた『週刊金曜日』信頼していたのだが、この問題では、随分違っているなあ・・・。鼻血問題と甲状腺癌問題は、意見が分かれているようだ。ただ、思い込むのでは無く、事実を正確に掴み、分析し、「冷静に恐れる」と言うことが必要だなあ。しっかり検査をし、きちんと捕らえることが必要だな。

 メディアに煽られてもいけないし、まるっきり信じてもいけない。事実をきちんと探し当てないと行けないなあ。被災者や福島の人にとっては、そのことが大きな影響をもたらす。

 

『花は咲けども』 歌・影法師 詞・あおきふみお 曲・横澤芳一

原子の灰が  降った町にも

変わらぬように 春は訪れ

もぬけの殻の 寂しい町で

それでも草木は 花を咲かせる

花は咲けども 花は咲けども

春を喜ぶ 人は無し

毒を吐き出す土の上

うらめし、くやしと 花は散る

 

異郷に追われた人のことなど

知ったことかと浮かれる東京

己の電気が 招いた飛散に

痛める胸さえ 持ち合わせぬか

花は咲けども 花は咲けども

春を喜ぶ 人は無し

毒を吐き出す土の上

うらめし、くやしと 花は散る

 

1年 3年 5年 10

消えない毒に 人は戻れず

ふるさとの花 恋い焦がれて

異郷で果てる 日を待つのか

花は咲けども 花は咲けども

春を喜ぶ 人は無し

毒を吐き出す土の上

うらめし、くやしと 花は散る

 

花は咲けども 花は咲けども

春を喜ぶ 人は無し

毒を吐き出す土の上

うらめし、くやしと 花は散る

    650人第二原発に一時退避。70人だけ、免震重要棟に残る。






























吉田所長の証言
14日深夜
「もう、いろいろ聞かないで下さい。ディスターブ(邪魔)しないで下さい。」
テレビ電話で、ベントをせかす本店にいらだちを隠せず。「2号機はこのまま水が入
らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出てしまう。そ
の分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故。すると、一号、三号の注水も停
止しないと行けない。結局、ここから退避しないといけない。」と考えたと。
15日早朝
 「私は、ここだけは一番思い出したくないところです。ここで本当に死んだと思ったんです。」
 「我々のイメージは、東日本壊滅ですよ。」
 650人第二原発に一時退避。70人だけ、免震重要棟に残る。