アンニョン 韓国 (韓国 平和と交流の旅)
2014.3.25〜29 5日間
  
 初めての海外。初めての韓国。パスポートも取って、楽しみな旅行。
「死ぬ前に、海外に行ってみたーい。」
「一度も海外に行ってないなんて、江戸の町民と同じ。俺って、まだ、鎖国しているの?」
「吉田松陰みたいに、密航してでも、海外を知らなくっちゃ!」
外国を見てみたい。人を知りたい。考えを知りたい。文化・歴史を知りたい。・・・。
 ま、海外も、やっぱり富士国際旅行社。 富士国際旅行社の旅は、テーマで回ってくれる、地元の人と交流できる、ただの観光じゃない、学べる旅行。今回の韓国旅行も、日本軍「慰安婦」問題、侵略の足跡、歴史問題、地域で活動している人たちと交流できる、梨花女子大の学生達との交流もある。盛りだくさんな内容、平和を考える旅だ。初海外旅行も、やっぱり、学習・交流の旅が良い。さらに、富士国際旅行社では、梁(やん)さんの日本軍「慰安婦問題の学習会も開いてくれた。沢山のことを学べた。そして、韓国の旅には、梁さんも一緒。こんな心強い旅はない。また、そこで、紹介された、吉見教授の裁判傍聴・支援にも少し参加し始めた。東京地裁に傍聴に行ったりした。
海外で、少し不安もあったが、今回は、テニス仲間の、いや、大先輩の高橋さんと一緒。嬉しいなあ。安心だなあ。沖縄旅で一緒の坂屋さんは、申し込んだけど今回は定員締め切りでダメだったみたい。
強姦対策、性病対策、機密保持、ストレス解消の狙いがあったという。
3月24日(月)
6時から9時迄、早朝テニス。ここでみっちりやっておかないと、一週間、テニスができないから。前日の日曜は、川越市大会の55才シングルス。勝ち進んだので、5時過ぎまで試合だった。初参戦で、3位となる。あと、一息で決勝だった。残念。
テニスの後、「ちりとてちん」と「ごちそうさん」の録画を見る。昼を食べてから、やっぱり録画しておいていた、大島 渚監督のドキュメンタリー「わすれられた皇軍」を見る。
元日本軍韓国人。日本軍人として働き、怪我をして復員。傷痍軍人となるが、恩給も無し。追いやられ、なんの保証も無し。裁判しても、却下。この理不尽さは何!!画面で、大島監督も怒鳴っていた。「ケアする法律が無かったら、法律を作れ!!」
 戦争中は、侵略して植民地にし、戦後は、日本籍がないからとほったらかしにする。なんちゅう国だ。日本は!!!
3時過ぎ、成田に向かう。明日の朝、ギリギリ間に合うのだが、初海外だし。成田から飛行機に乗ったこともないし。前泊することにした。
所沢から、池袋、日暮里、そして、京成スカイライナーで成田空港。ノンストップだから、速い。しかし、トンネルや凹面線路が多くて、景色もあまり見られない。ただ、空港に急ぐだけの列車だなあ。
成田空港駅に着くと、切符を出したのに、次の改札!?では、パスポートチェック。厳しいんだなあ。5時半頃だったので、空港レストランで、晩飯。成田と言えば、成田闘争だなあ。友達のクマ(小沢甲一)は、大学時代、成田闘争に参加していたなあ。泊まりがけで、支援闘争に参加してたな。
晩飯の後、展望台で周りを見たが、金網がかかっていて、周りもよく見えない。
空港から、ホテルのシャトルバスで宿へ。ビジネスホテル。ワンカップを飲んで、ニュースを見て、風呂に入って、早めにスヤスヤ。いや、いつもの時間かな。9時前。
「慰安婦」は、誰が、どのようにして集めたか?
朝鮮・・・「お金が稼げる仕事があるから」「工場で働く」「看護婦の仕事がある」  等、だまされて連れて行かれた例多し。軍が、業者を選定し関係地方の憲     兵・警察と連携して集めるように指示。
台湾・・・「給仕の仕事」「看護婦の助手」「良い仕事がある」等。「部隊で働け」と
    巡査に言われた人も沢山。
占領地・・・軍人が無理矢理連行するケースがほとんど。インドネシアでは、民間
    抑留所にいたオランダ人を慰安所に連行。
日本・・・沖縄では、泉知事、具志堅那覇警察署長は反対したが、軍令に逆らうこ
    とはできず。「皇土の中に慰安所は作れない」との反対も、軍には敵わず。     辻遊郭から、5百名かり出される。
3月25日(火)
朝、風呂、ひげそり。家から持って来た新聞をゆったり読んで、良い朝だったが・・。
新聞勧誘で、家に初めて「産経新聞」が入ってきたので、それも持って来ていた。早速、櫻井 よし子。講演の記事が1面全部使って載っている。全く、いつもの論調。シラーとして、歴史と違うことを言う。これが、産経新聞なんだ。と、改めて感心した。
シャトルバスで、成田へ。途中、検問。バスの中に、2人の保安員が入ってきて、全員のパスポートチェック。テロ対策なのかなあ。さすが、国際空港?!
空港で、高橋さんと合流。朝飯は、手続き終了後に。  
 まずは、航空券を自動機で取る。で、それと、パスポートを提示して、荷物を預かって貰う。今回の旅のために買った、トランク。コロコロ車が付いているやつ。コロコロは、私は初めて。トランクには鍵がかかる。トランクは、鉄でできているがっちりとしたのかなと思っていたが、プラスチックだった。だから、軽い。コロコロもやってみると、楽ちん。
次は、出国手続き。パスポートチェック。うーん。いろいろ大変だなあ。で、朝飯食べる時間もほとんど無し。ま、食事をする所もほとんど無かった。中に入ってしまうと、軽食だけ。サンドイッチとミルクの朝食を急いで済ます。
8時50分、急いで食べてから、コリア航空の飛行機に乗り込む。
椅子に座ると、乗務員が、回ってきて
「イアフゥ いあふう、イアフゥ」と言う。
「えー、まさか、慰安婦って、言ってないよね。」
良く聞くと、「イアフォン」と言っているようだった。発音が良いもんで、津軽イングリッシュ育ちの僕には、聞き取れなかった。
途中、ランチが出た。「待ってました。」海外は、食事が出るという。韓国料理。コリア航空だから。 良いもんだなあ。お茶も頼んだ。すると、向こうの座席の人は、麦酒を頼んでいた。麦酒もOKなんだ。おまけに、麦酒をお代わりしている人もいた。私は、
「帰りは、必ず、麦酒を頼もう。お代わりもしよう。」
「ドリンクって聞かれたら、ビア!と、きっぱり言おう。ワンモアも良い発音で言おう」と、決意していた。
11時50分頃仁川国際空港到着。 3時間、かからないんだ。空港では、出国手続き。税関手続き。荷物受け取り、並んで時間もかかる。スタッフは、無口、無愛想。
空港ロビーには、ポリス。しかも、肩に自動小銃。「うー。厳しい警備だなあ。」
バスに乗る。12時半。参加者19人。佐渡や名古屋、新潟から来る人も。その人達は、後から合流。通訳・ガイドの梁(やん)さん。現地ガイドの金(きむ)さん。 添乗員の堀口さんもバスに乗っている。
さて、早速学習会。梁(やん) さんの説明。金(きむ)さんの案内。
・韓半島 日本の本州から青森県(おいおい、青森を抜かさなくても!私は、青森生まれ、育ち)を除いた大きさ 南45lが韓国。
・約、5千万人 ソウル市で1千万人
・仁川国際空港 埋め立て 2001年
・ウォン 1万ウォンが千円ぐらい。
・姓名 女性は、結婚後も姓はは変わらない。子どもは、父の姓。
・国会 一院制
・教育 6・3・3・4制
・電圧 220ボルト、差し込みプラグの形違う 充電器なども使えない。
・人口密度が高いので、高層住宅が林立している。
・江南(かんなむ)スタイル 歌と踊りで金持ちを諷し?
・現代、サムスン電子、KIA等世界的大企業もいくつかある。
・車 左ハンドル 右側通行 軽自動車はほとんど走ってない。 セダンタイプが多い。
誰が、どのように管理・運営したか?
@軍直営・・・料金・利用時間、「慰安婦」の性病検査、コンドームの使用、注意事
       項などの利用規則作成。
A軍が委託した、軍専用の慰安所・・・委託の場合も、軍が管理・監督
B一定期間、軍が民間の売春宿を軍用に指定したもの。・・・戦争の初期に多かった
                   いずれも、軍が統制・管理・フランスの漫画展の事。韓国の「慰安婦漫画」の展示が問題になったが、大韓民国歴史博物館で、その漫画を見に行った。日本の右翼が、ヒトラーの卍を使った絵を持って行って、主催者に撤去を命じられた。日本の報道では、正確に伝えられていなかったと思う。
博物館の入り口前、外に「慰安婦」問題の掲示が何枚にも渡って、詳しく報じられていた。1階の3つの部屋で「慰安婦」展示があった。アニメで、「慰安婦」にされていくまでのことを放映していた。証言を元にした作品である。漫画も、比較的冷静である。反日を煽るようなものではない。絵は「慰安婦」の人たちが、描いた思いのこもった作品である。1階を見た後、屋上に出た。
屋上からの眺めが、とても良い。景福宮(きよんぽつくん)(1395)が見渡せ、その後ろには青瓦台(大統領府)。そして、北岳山。景福宮に向かって大きな道路の丁字路。片面5車線もある。政府庁舎、世宗文化会館等がある。近くには、アメリカ大使館、日本大使館がある。
景福宮のど真ん中には、朝鮮総督府(初代 伊藤博文)の大きなビルが建っていたとのこと。植民地時代の名残のビル。1990頃、爆破して、景福宮を復元したという。日本侵略の遺跡として残すようにとの声も、あったという。
この、景福宮は1592年には、秀吉軍によって破壊されたという歴史も持っている。
青瓦台の周りの警備は凄い。ポリスが何十人も、辺りを警戒している。そして、サングラスをかけた、特別警備の人もいる。
 景福宮の見学予定が、変更になった。今日、休業日との事。で、近くにある、昌徳宮(ちやんどつくん)(1405)と昌慶宮(ちやんぎよんくん)をじっくり見ることになった。 やはり、ここも植民地時代日本軍に占拠され、あれこれ、変えられたりしたそうだ。むらさきの三つ葉ツツジ、黄緑がかった花びらの色が素敵な、梅もきれいだ。臘梅に似た、黄色の花も咲いている。書院、学院、医院、書庫等よく整備されている。1910年日韓併合の閣議・発表の場所でもある。日本の侵略の歴史と、みんな関わっている。
しかし、日本の観光客の案内の時は、そう言う歴史(本当の歴史・侵略の歴史)は、説明から除いてるそうだ。本当の歴史を話すと、怒る観光客もいると言うことで。な、なんと!!!本当のことを言ったら、怒る日本人。情けないなあ。本当のことにきちんと向かい合って、仲良くしたいなあ。本当の、友情を築きたいもんだなあ。
5時20分ソウルの中心街に近い、ベストウェスタン プレミア国都ホテルに着いた。6時には、夕食会場に出発。外での夕食。
 部屋は、高橋さんと二人部屋。ゆったりビジネスホテルという感じかな。連泊だし、最終日もこのホテルである。
夕食会場も、なかなか立派なところ。
梁(やん)さんの自己紹介
・在日朝鮮人(韓国籍)在日という存在。自己のアイデンティティー。
「日本名何故ないの?」と、友達に聞かれる。子ども二人。初めて、韓国に来てから、 「慰安婦」問題に関わる。女性として、人間として、自分のアイデンティティーを探  そうと思っていたが、そんな自己の問題をぶっ飛ばすような存在感が「慰安婦」の人  たちにあった。まず、話を聞く。とことん聞く。そして、寄り添う。
そこから、宮城県の宗 神道(そんしんど) さんの支援活動、裁判闘争を支えるようになった。1  週間に1回ぐらいの割合で、宮城まで訪ねていく。「慰安婦」問題に関わって、22  年ぐらい経つ。
みんなも、簡単自己紹介
・佐渡から・宮城から・名古屋から・・
・祖父・祖母・父・母・娘(高1)の5人家族での参加
・立教大生在日の詩人の支援活動をしている。
・所沢、秩父学園の職員だった。
・みんなに、「慰安婦」問題を教えられるように。
・保育の雑誌などやっている。
・テニスをやっている
等々。
 プルコギ旨し。キムチは、辛いと言うより、味が深い。美味しい。麦酒は5500ウォン。(550円)生が無い。ビン麦酒。口に合う。旨し。食べ物美味しい。麦酒も旨い。言うこと無し。ホテルに戻って、隣のコンビニ(CU)で麦酒を買って、部屋で仕上げ。
   CUアゲイン。おやすみ・・・。
戦後、慰安婦制度は裁かれたのか?
東京裁判・・・インドネシア、中国、ベトナム、ティモール等7点の「慰安婦」
         関係証拠調べ。しかし、不十分。
中国桂林で女工名目で女性を集め、強制的に「慰安婦」にされた件。判決で事実
  認定。
BC級裁判・・・バダビア裁判(スマラン事件)1944、オランダ人女性ら35
    人を強制的に「慰安婦」に。岡田少佐死刑。6人の将校、4人の業者、2〜
    20年の禁固刑。
「桜倶楽部」事件 1943、オランダ人女性ら20人が「慰安
         婦」にされる。12才や14才の少女も。経営者の青地。懲役1
         0年。その後病死。靖国神社に合祀されていることが判明(20
         07・3・30 朝日新聞)
等、裁判数は少なし。あまり名乗り出なかったためかな・・。
 3月26日(水)
5時起床。韓国放送テレビを見る。韓国語では、意味がわからないが、天気予報だとわかる。気温は、高い。20度ぐらいある。長袖で、暑いぐらいである。良い天気が続く。
6時半から朝の散歩に行く。高橋さんがいるから、心強い。ホテルから、左の大通りをズーとまっすぐに歩く。歩道は、割とでこぼこしている。点字タイルもあるが、途中で切れたり、ブロックリブ使ってても、切れていたりする。バリアフリーとしては、まだ、不十分かな。電線が無い。地中化されている。これは、かなりこれは進んでいるなあ。歩道のタイルを見ると、いろんな種類があって、一貫した歩道工事では無かったようである。ひょっとして、大きなビルでは、そのビルが、目の前の道路部分について歩道工事をしたような感じである。地下鉄の通気口がやたら多い。換気のやり方が、自然換気システムなのかな。マリリンモンローの「おー、モーレツ!」的換気なのかな。やがて、ロッテホテルが左側に見える。さらに行くと、高橋さんが10年前に泊まったと言う、プレジデントホテル。道を歩く人は、若い人が多い。出勤なのかな。   
 突き当たり、公園のような所に出た。右側に、ガラス張りの、大きな建物。サッカースタジアム? なんかのホール? デザインが凄い。 現代的?!   後で聞くと、ソウル市庁舎だという。凄いなあ。隣には、図書館。脇にあるスペースは、喫煙コーナー。何人も、朝から吸っている。韓国は、タバコ飲みが多いなあ。ここから、Uターン。7時50分ホテル着。
 バスで、朝食のレストランへ。外での朝食。 鱈スープ。二日酔いに効くという。韓国では、酔っ払って帰ってきた夫にはきついが、あさは、ちゃんと鱈スープを出すという。 キムチも、海藻も旨い。  マシッスムニダ(美味しいです)
                      カムサハムニダ(有り難うございます)
清渓川路(ちよんげちよん) 散策。青瓦台に突き当たる大通りのすぐ近く。ソウルのど真ん中だ。そこに、せせらぎ、遊歩道等整備して、とても良い散歩コースになっている。きれいに整備されている。昔は、この川が良く氾濫していたという。また、貧しい人たちが沢山住んでいたという。これを、整備したのが前大統領の李(い)明(みよん)博(ばく) である。株を上げたわけである。
次に、バスで、北村韓屋村(ぷくちよんはのくまうる) に向かう。韓国の伝統的居住区域である。チョンゲチョン(清渓川)の北側の町で北村。 貴族や両班の住む町だったという。ま、金持ちだな。李明博も住んでいたという。風水的に、とても良い場所だという。李明博は、それで、大統領まで出世したという。坂の多いところである。ソウルの中心街が見渡せる。
次に、バスで向かったところは、仁(いん)寺(さ)洞(どん)。朝鮮時代の頃から、画家が集まって暮らしていたところ。朝鮮美術の中心となったところと言う。今では、小店通り。アクセサリー、絵はがき・カード、コーヒーショップ、筆やさん、お菓子屋等が並んでいて、若い人がショッピングに来る。通りの端(はじ)の方に行くと、公園があって、3・1の大きなレリーフが物語の絵のように並んでいた。ここは、3・1の決起した場所だったと言ったかな。
そこへ行く途中、梁さんに出会った。
「はじ」と、梁さんの一言。
「う・・・」  一瞬なんだかわからなかった。梁さん、俺たちのこと「恥」「日本の恥」と言ったのかなあ。まさかなあ。きょとんとして、梁さんを見ていると、
「この先は、店は無いよ。端(はじ)だよ。」
あー、「はじ」「端(はじ)ね。」「小店の端(はじ)と言うこと。」あー、びっくりした。
「梁さん、急に、はじって言うから、びっくりしたなあ。もー。」
 帰る途中、高橋さんと、ケーキとコーヒーの店に入った。何とか店の人に言葉も通じて、思ったより美味しい、チーズケーキを食べることができた。
  「マシッスムニダ」「マシッスヨ」(おいしいです)
韓国に慣れてきたかなあ。
 さて、みんなで集合してから、歩いてすぐの所にある日本大使館へ。大使館前では、毎週12時から1時迄の水曜デモ。1992年1月8日宮沢首相訪韓の時、初めての水曜デモ。それから、20年以上も続いている。雨の日も、雪の日も。道路を挟んで日本大使館。大使館前は、機動隊のバス4台あまりでブロック。そして、沢山の警察官。
 大使館の窓は、全て閉じられている。歩道と道路の一部には、沢山の人。旗。
 少女像(平和の碑)。日本では、メディアが「慰安婦」像と言っている。中央には、ハルモニ。二人椅子に座って、参加している。周りを沢山の人が囲んで、大使館に向かい合っている。
       雨が降っても、雪が降っても
病に臥していても

日本大使館前
12時
 
スピーチ。歌。シュプレヒコール。若い人が沢山いる。取材のテレビ局、映画スタッフ等。隣のビルの前では、「日本人よ 知っているか!!」展が開かれている。731部隊、南京事件等の写真が展示されている。日本軍兵士が切り取った首を持って笑っている写真がある。強姦した後に、性器に棒を突っ込んでいる写真がある。首だらけが十も並んでいる写真がある。うーん。厳しいなあ。なかなか、正視にに耐えれないような写真が、何枚もある。残虐この上なし。これが戦争か。戦争は、人をこんなにしてしまうのか。日本軍の残虐さ。家では、家族が、奥さんが、子ども達が待っているというのに・・・。何故こんな事ができるのか!! 戦争は、とんでもないものだ!!!!!!!!!!!!!!!
バスで、移動。昼は途中のレストランで、うどんすき。日本のとは感じが違うが、美味しい。高橋さんと、麦酒を飲む。大使館前水曜デモと隣の展示会が重かったからかな。一息つきたかったからかな。今日は、あと、博物館見学だけだからと思ったからかな。

   証言
トマサ・サリング・・・1942 2人の日本兵が押し入ってきた。父は、抵抗し
 (フィリピン)  広岡大尉に首を切り落とされた。私は、連行され、広岡大尉           に強姦され、それから毎日、2〜5人相手をさせられた。
13才だった。
盧 満妹・・・1943 17才 「看護婦の仕事がある」と、言われて海南島の
  (台湾)        慰安所へ。1日14〜5人来て、行列。厳重に見張
              られ、逃げ出すことも、自殺することもできず。お
              金は、一度も受け取っていない。
マルディエム・・・「ボルネオで一緒に芝居をしよう」 募集していたのは、正源 (インドネシア) 寺寛吾(ベンジャルマシン市の初代市長)。48人の少女の半          分は劇場・食堂で働かせられる。半分は、慰安所へ。
          3年あまり、1日10〜15人の相手。14才の時、妊娠五ヶ
         月で中絶。
 次は、「戦争と人権の歴史博物館」2012年完成 8億かかった。全部、募金など。民間の施設。日本からも、五千万円の募金集まる。
 ここは、ハルモニ達の経験や体験を伝える場所。ハルモニ達の願いを伝える場所。ハルモニの一人、ハングンジュさんは、全財産一千万円を寄付したそうだ。家を改修して作ったという。イヤーホンを付けて回る。すると、日本語の解説が聞こえてくる。 入り口から1度外を回るが、そこからは、軍靴の足音、銃声などが聞こえてくる。そして、狭い部屋の中に入る。「慰安婦」としての、追体験できるような工夫もされている。1人1人のハルモニの体験。亡くなったハルモニ達への、慰霊。日本大使館の向かいにあった、少女像があった。隣には、椅子もあり、そこに腰掛けて、正面のハルモニ達の体験の証言を聞くこともできる。3階全部を見終わった後、館長の尹(いん)さんの話を聞く。

・平和と人権について、考える空間。被害を受けた人の癒やし。日本政府、日本社会
 に対する、問題提起。勿論、韓国政府に対しても。
・日本政府が、責任を認めていない。将来に対しての、青少年の教育。靖国参拝等逆
 の方向に進んでいるようだ。
・悲しい気持ち (毎年、ハルモニ達が死んでいく。年間で10人前後。2000年代
        に入って、急増。ハルモニの高齢化が進んでいる。)
腹立たしい気持ち (歴史をゆがめ始めている。教科書から、「慰安婦」削除。)
・本当の追悼とは何かと考えながら活動している。悲しむだけでなく、ハルモニ達が
 願っていた世の中を作っていく。
「戦争を2度としてはならない。」
「子ども達を、このような目に遭わせたくない。」
ハルモニ達の思いを実現するために博物館を作った。
2003年から、取り組み始めたが思ったより長くかかった。政府、国会、企業も
 お金は、出してくれなかった。光復会、殉国会も反対した。
しかし、記憶していきます。歴史の中で、しっかりと位置づけていきます。
・なかなか、たてる場所も確保できなかった。現在の場所に、逃げるようにしてやっ
 てきた。しかし、ここでは、周辺の人が集まって、会議を開き、駐車場の配慮やボ
 ラ ンティァ等を進んで引き受けてくれた。
・ハルモニ達は戦争体験から、平和を強く求めている。女性の性被害を受けている人
 を助けたいと考えている。そこから、ナビ基金が生まれた。ナビとは蝶の事で、運
  動 が広がっていくという願いを表している。だから、この博物館は、アクティブミュ
  ー ジアムである。 ここに来て、見て、考えて、自分が行動を起こすきっかけとなって 
  欲しい。 ハルモニの心こそが平和である。

質問・答え
ベトナム戦争で韓国軍は、ベトナムの人たちに対して虐殺や性暴力を犯した。それ
に対しての、謝罪や賠償の一助にナビ基金も関わっている。
みんなが、一つ一つ実践する中で、平和は生まれる。
青少年にこそ来て欲しいと言うことで、交通の便の良いところに作った。戦争記念
碑などあるところはダメ。被害者(ハルモニ)の魂の安らぐところ。
・被害者数については、推定しかできない。日本政府が、調査して、発表するべき
ある。韓国籍で名乗り出た人は、237人。現在生存者は、55人。
・博物館への訪問者数 1年で、1万人。日本人も多い。
・日本大使館とは、交流もあったのだが、安倍首相になってからは、途絶。
平和の碑が世界各地に建っている。カリフォルニア州のは、カリフォルニアの市民
が要望して建てられた。
・中央日報、東亜日報等は、市民の声を反映していない。
インターネット等を通して、国民のテレビを作らなければならない。大手メディ
アは当てにならない。
NGOは、たった1人でもできる。たった1人でも、博物館でも、きる。ナビサー
クルもそうである。親から子へと続く。事実を知り、わかり、伝える。
政治は、国益を優先しがちである。でも、市民の活動でそれを告発して、検察に次
々に告発していく。よりよい社会を作るために次世代につなげていく。横に広げて
 いく。 梁さんが、区切りで日本語に通訳してくれる。だから、尹さんの話は、2倍の時間がかかるのだが、韓国語と日本語の2回聞いている感じがして、心にしみるように入ってきた。尹さんは賢い人だなあ。落ち着いている、信念を持っている。どんなことがあっても、冷静に対応できる人である。困難にも、めげない。そういう感じが、ひしひしと迫ってきた。テニスで言うと、上級者である。しかも、世界レベルのである。

この地区は、ソンミサンマル。ソンミサンマルとは、必要なものを自分たちで作る、と言う運動。1994年、民主化運動を経験した世代の人たち。25世帯80戸がここに住み始めた。学校もつくる。フリースクール。生協ストアーも作る。ハンサリー(お総菜屋さん)もつくる。住居もつくる。共同体みたいなもんかなあ。韓国にこういうものがあるんだ。この地区の中にある、オーガニックレストランで夕食。
韓国料理。野菜なども、自然農法栽培。ついつい、麦酒日本(2本)。間違い、麦酒2本も進んでしまう。
 ガイドの金さん。お父さんは、38度線の北側に住んでいたので、北朝鮮軍として朝鮮戦争に参戦。でも、すぐ、捕虜になる。ところが、住んでいたところは、同じなのに、38度線のラインがずれて、南側になってしまった。家族が、南側になってしまったので、お父さんは、今度は韓国軍として参戦。清渓川の出身。昔は、貧しい地区だった。今では、ソウルの名所の一つになっているが、と。
私達のテーブルは、高橋さんと、添乗員の堀口さん、通訳・ガイドの梁さん、韓国ガイドの金さんの5人。堀口さんの、「添乗員をして今までで一番嫌だった客の話」も面白し。みんなで駄洒落も飛ばして、わいわい。梁さんが乗ってくれたので、私と高橋さんは、遠慮せずに駄洒落を飛ばしまくった。私は、梁さんの残りの麦酒もついでもらい、あー、飲んだー。  が、夕方から、結構冷えてきた。トイレも近い。出発前にトイレに行っておく。途中、アイスクリーム屋でみんながアイスを食べているときも、トイレに行っておいた。バスは、ホテル目指して走っていた。渋滞をくぐりながら。なかなかすいすいと行かない。ホテルまで持つかなあ。トイレ大丈夫かなあ。麦酒2本と、梁さんから貰った麦酒が、外に出たがっている。むむむ。   朝、散歩した、ロッテホテルの辺りまで来た。でも、渋滞でなかなか進まない。「うーん。限界。」
  ファジャンシルン オディイムニカ(トイレはどこですか?) 
「吸いません、いや違う。すいません、トイレをしたいので下ろして貰えますか・・。」 車は、右側通行。その中で、一番左車線を走っている。右の方に少しずつよってくれた。
「道わかりますか?」
「朝、通った道なので大丈夫です。ホテルに、そのまま歩いて帰ります。すいません・・。」
 降りてすぐ、地下鉄の入り口があったので、階段で降りていく。「急げ、急げ!!」
 すると、トイレマーク。10b先と表示がある。有り難し。間に合った。あー、しんど。
「ほー、ふー。」それから、 急いで、ホテルに帰る。ロビーには、金さん。心配して、待っていてくれたのだ。 「すいません。」と、私は、小さくなっていた。ちょっと、調子に乗ったかなあ。明日からは、気をつけよう。
  チェソン ハムニダ (ごめんなさい)

した。薬を塗ってくれる人も誰もいないんです。あの頃を思い出しただけで・・・。

 3月27日(木)
朝、高橋さんと散歩。今日は、ホテル前道路を右方面に行く。 ホテルの周りは、電気屋街だが、それがズーと続く。電気屋街と言っても、小島電気とかビックカメラとかの大きなビルの電気屋では無い。小さな、田舎の電気屋さんみたいな。電気工事屋さんとか電気修理屋さんとかいう感じである。どの店も、入り口一間の小さなものである。それが、果てしなくズーと続いている。見渡せる、町中電気屋である。
 途中、市場があったので覗いてみる。魚のひもの、だし、小魚等同じようなものが山ほどある。だしも、煮干し、鱈の開き、乾燥鱈、干した小エビ、いろんなだしがある。良い色で、美味しそうである。でも、まだ、誰も買ったりしてはいない。問屋さんに売る市場なんだろうか。梁さんがいないので、話しかけることも、聞くこともできない。ズーと行くと、病院らしいものもあった。そして、突き当たりに大きな、サッカースタジアムみたいな建物。しかし、それは、少し浮いていて、真ん中下を道路が走っている。後から聞くと、東大門の辺り。なんかの展示会とかやっている建物のようだ。なんと言っても、現代的建物である。デザインが凄い。 手前には、アウトレットビル。そこから、引き返して、ホテルへ。今日は、別のホテルに移動する。
バスで朝飯。外飯。豪華ホテルのレストランで、アワビお粥。期待していたが、ま、それほどでもないかな・・。
それから、バスで移動。
梁さんの話
直接、被害者と話をしてみると、その真実みが伝わってくる。
バスは、基地の見える高台に止まった。 姜(かん)さんが出迎えてくれる。早速、基地を見渡しながら、説明してくれた。
・キャンプ・ハンフリーズ(平澤の米陸軍基地 2002年から拡張工事。)
近くには、烏山(おさん) 空軍基地もある。
・170万坪。拡張工事は220坪。計410万坪の大基地となる。マンション風の建物 が、何棟も作られている。みんな、米軍住宅だ。7千+2万で、米軍人だけで2万7千 人となる。(沖縄米軍は、2万5千人。)
・米軍の方針も変わった。
今までは、韓国の人々の安全を守る。韓国を出ない。  これからは、戦略的柔軟性 を持ち、米国本土やオーストラリアから来て訓練したり、沖縄の米軍も参加した訓練を したり、米軍の世界戦略に韓国米軍も組み込まれる。
・沖縄や岩国からオスプレイも来ている。
・韓国から、米軍に出している思いやり予算?!は、年1兆ウォン。やく、1千億。
・四年間抵抗したが、二つの村がつぶされた。テチュリとトドゥリ。成田闘争の漫画を見 たが、その闘い、反対闘争と似ている感じがした。
・騒音被害もある。爆風で、塀や屋根が壊れたりする。損害賠償裁判で、勝訴したが、月 3万ウォンの補償。つまり、3千円。うーん。

姜さんの案内で、テチュリ歴史館に行く。シンボルの、松フクロウの描かれている、倉庫のような建物に入った。テチュリの住民自らがお金を出し合って、「歴史を残そう」と願って、建てたそうだ。
 テチュリ村は、130世帯あった、稲作農家中心の村だったが、基地拡張工事、強制収容で村が亡くなった。最後まで反対した、44世帯100人が、基地から少し離れたこの地に新しい村を作ったのだ。立ち退き料は、勿論、かなり低い。田んぼも補償されていない。逆に、平澤市には、18兆ウォンを何年かかけて、交付するという。1兆8千億円だ。「え゛ー。」
 市に補償して、移転する人には十分な補償無し。
「何で、どうして。しかも、そんな巨額の・・。」
 そこから、平澤市の世論は賛成にぐぐーと流れたそうだ。うまく、金で世論を買ったのだ。どこの国も、権力を持つもののやりそうなことだ。反対派は、孤立させられていく。
2009年ここに、新しい、テチュリ村を作る。現在、中学生1人。70才以上の住民多し。なかなか、この先も大変だろうな。しかし、姜さんは、爽やかで、理性的で、粘り強い感じがした。この人がリーダーなら大丈夫だろう。
昼ご飯は、この村の集会所で食べた。村の人が、作ってくれた韓国田舎料理。暖かくて、ほかほかで、キムチも美味しくて、辛くて、・・・。あまりに美味しくて、お代わりもたくさんした。お代わりをしてもまだまだ大皿には、沢山作られていた。今までに食べた、韓国料理の中で一番美味しかった。本当は、麦酒でもあればさらに良かったのだが、そんな不謹慎なことはできない。しかも、昨日、トイレでバスから降りたのだから、恥ずかしくて、もうそんなことはできないし・・。美味しい料理と麦酒はセットであるが、ここは我慢。
決着済み?
1965 日韓条約 「解決済み」 しかし、当時議論さえされていなかった。軍
     「慰安婦」問題も出ていなかった。解決済みなはずがない。裏で、どんな
     交渉があっても、被害者に対する謝罪と、賠償はしっかりなされるべき。

1995 女性のためのアジア平和国民基金(国民基金)発足
しかし、「賠償」ではない、「見舞金」となってしまった。韓国、フィリ
ピン、台湾等アジアの被害女性258人に基金を渡したという。しかし、多くの人が
受け取り拒否。オランダでは、渡されず、インドネシアでは国の政策で医療・福祉に
回され、中国・北朝鮮・ベトナム・マレーシア・タイ・東チモール・ビルマ・シンガ
ポール等は、事業の対象にさえなっていない。

もっと詳しく調査し、謝罪と賠償を被害者にするべきだと思う。医療的ケアなども
必要。モグラたたきみたいに出てくる、「侵略じゃない」「慰安婦はお金が欲しいんだ」
「軍は関与していない」等の発言を、きちんと政府が批判すべきだ。
残された時間は、少ない。軍「慰安婦」の人たちは、皆、高齢である。 
 姜さんとテチュリと別れて、次に向かったのは、キャンプ・ハンフリーズの正門。そして、その前の商店街。飲み屋街。米軍オンリー。米軍のための商店街、飲み屋街である。かなり寂れた感じもある。
商店街を抜けて、少し奥まった小路に入るとヘッサル社会福祉会があった。

SUNLIT SISTERS’ CENTER CORP.
THECENTER FOR WOMEN AND CHILDRENAROUND  US MILITARY                              BASES
              CHIEF DIRECTER WOO,SOON DUK
ウ・スンドク院長の名刺には、こんな事が書かれていた。
 ここは、12年目になるという。
 神学大学で学んでいるとき、いつも貧しくて、きついことも多かったが、「卒業したら、必ず社会福祉をして、社会のために働きます」と、神様に約束した。で、現在、神父で、こういう活動にも取り組んでいる。賛美歌を歌い、夕食を一緒にすることから、この活動が始まった。基地村女性の抑圧された人生を開き、解放し、人間らしい暮らしができるように援助していきたい。
踊りの発表や演劇に取り組んでいる。自分たちのしてきたことを演じるというのは、心の不安定さもあり、難しいこともあるが、そこを乗り越えていくと、力ともなる。自己の成長のステップともなる。みんなの故郷を訪ねる旅もしている。ソウル演劇祭優秀賞も貰った。 朝鮮戦争後、韓国貧しい。ドル欲しい。1969年、ニクソンドクトリン。韓国から、米軍撤収という際に、基地村浄化運動や保健所に定期的に行くことで「安全」であると宣伝。「この仕事をして貰えば、老後は家も与えます」と言う国会議員もいた。外貨を稼げ。ドルが欲しい。そう、煽られて働いてきた。
 ところが、現在、補償は何も無い。良いように働かされて、用が済めば、ぽいっと捨てられる。国のために働いてきたようなものなのに・・。生活保護の35万ウォン(3万5千円)で暮らしている。しかし、基地拡張で、アパート代も高騰。生活は、さらに苦しくなる一方。
WOOさん、穏やかで理知的な話し方をする。主義主張と言うより、基地村女性に寄り添った発言である。女性達を守るためには、どこにでも出るし、何でもやる。恐れるものは何も無い。そう言う女性である。梨花女子大卒。
梁さんが的確な通訳をしてくれる。テチュリでもそうだった。そして、誰もが、梁さんの友達のようである。級友のようである。両手を握り合ったり、抱き合わんばかりだったり、みんな同志なのかなあ。梁さんは、顔が広いなあ。 WOOさんは、私達にケーキまで出してくれたり、お茶を出してくれたり、こちらが恐縮してしまうほど、よく、気がつく人である。有り難し。凄い実践家だなあ。地にきちんと根を下ろしている、活動家だな。

バスに乗り、基地を後にする。次は、今夜泊まる、水原(スウォン)に向かう。
金さんの解説
・水原(すうぉん)は親孝行の町。
・朝鮮王朝(1392〜1910)
21代おじいさん 長男を殺す(英才教育・自分で教科書まで作り、教えた子。やがて、親子トラブルで、ついに、米びつの中に監禁し、餓死させる) 孫(殺された長男の子)が22代王となる。 官僚の力を押さえ、王の力を強める政策。この、水原に、殺された自分の父(21代の長男)の墓を作り、大切に守った。この孫が、韓ドラ「イサン」である。そして、この町が、イサンの舞台となる。(チャングムの撮影場所ともなる。)住民達を移住させ、新都市作りをする。城郭を作り、町を守った。2年6ヶ月かかって、華城(ファソン) 完成させる。1795年、亡くなった父の60才の祝い、母の60才の祝いをこの町でする。母とと妹を連れて、8000人の供を連れてきて、自分の権力の誇示もしたという。

夕方、水原に到着。歩いてすぐが、今日のホテル。そこは、ユースホステルで、4、5人部屋だと言われていたが、2人部屋だった。風呂は無いがまあ、快適な部屋である。
「水原華城サランチェ」
 ユースホステルだが、夕食の後のミーティングも無いという。みんなで歌ったり、フォークダンスもしないという。ギター伴奏で「若者たち」でも歌いたいなあと思ったが、このユースホステルはそんなことはしないという。
「じゃ、ユースホステルで無くて、ホテルだな。」
 荷物を置いたら、ロビーに集合。みんなで、商店街を歩き、散歩しながら、自由夕食。あんまり、適当な店が無く、何人かに別れてレストランに入る。私と高橋さんは、梁さん・金さん・堀口さんと一緒。で、8人ぐらいのグループで韓国レストランに入った。いろいろなものを頼んで、みんなで分けて食べた。ここなら、ホテルまで歩いてすぐだし、麦酒飲んでも大丈夫。韓国料理は、旨いなあ。口に合う。辛いのも大丈夫。韓国麦酒も、違和感なし。美味しい!!
       イゴン オルマエヨ?(いくらですか)
 たっぷり食べて、飲んで、1人、1万2千ウォン。安いなあ。千2百円だよ。料理何品も食べて、麦酒もお代わりもして。安くて、美味しくて、トイレの心配も無くて、満足満足。大満足。
 この後、梁さんの部屋で飲み会をやるというので、近くのコンビニでマッコリや焼酎を買う。つまみは、所沢から持って来たものを提供。飲んで、喋って、時間も進み、私と高橋さんは、早寝早起きなので、部屋に帰る。9時頃だったかな・・。明日、散歩。一緒に行きたいという人がいた。
元兵士の証言
・近藤 一 1920生 三重県
「お前の番や、行ってこい」と言われて、輪姦に加わりました。4年間中国にい
る間に、私はこんな人間になっていたのです。 河南作戦では、兵隊から暴行された
10才くらいの少女や、小隊長が面白がって兄弟同士に性交させたのも見ました。
初めて参加した、晋察冀辺区討伐作戦では、乳飲み子とともに女性を捕まえ、輪姦し
た後全裸にして、靴だけ履かせて行軍に連れ歩きました。そして、その女性が衰弱す
ると、古参兵が赤ん坊を谷間に放り投げたのです。その瞬間、彼女は子どもの後を追
って谷底に飛び込みました。一瞬「ひどいなあ」と思いましたが、行軍のつらさで、
それもすぐ忘れました。

・田村 泰次郎 1911生 三重県
作家「肉体の悪魔」「春婦伝」「肉体の門」「裸女のいる隊列」等
住民達に対する日本軍の身の毛もよだつような所業は、私の7年間にわたる戦場生
活で幾場面も見ているが、全戦争期間、全戦域にわたっては、それがどれぐらいの場面になるかは、想像を絶したものがあるに違いない。私は、その凄惨な場面に生きてきたが為に、戦後10年過ぎた今、再び民族優越の自信を取り戻すことが叫ばれても私にはとてもそんな気持ちが動かない。私は日本人の1人である。自分自身を信じられぬし、また、人間全体をも容易には信じることはできない。
・総山 孝雄 「南海のあけぼの」
駐屯地の近くに設けられた慰安所に行ったところ、次々にやってくる日本兵を前
にして「慰安婦」にされた女性が「体が続かない」と、それ以上は拒否したので、係
の兵士も「今日はこれまで」と打ち切ろうとしたところ、列をなして待っていた兵士
達が騒ぎ出したので、いやがる女性の手足をベッドに縛り付けて継続させたところを
見た。女性は、地元民。
 3月28日(金)
6時20分待ち合わせて、3人で朝の華城(ファソン) 散歩。商店街を少し歩き、右に曲がって、一気に急な階段を丘の尾根まで上る。少し霧がかかっていたが、景色も見える。尾根まで出ると、後は、なだらかな道。町の人たちも散歩やウォーキングに来ている。
アンニョンハセヨ (こんにちは)
挨拶を返してくれる人が多い。嬉しいなあ。尾根を戻って、一番高いところまで行く。水原(スウォン)が一望できる。良い眺めだ。そこから、一気に下って、ホテル着。一日中、町を歩き回りたいなあ。梁さんも一緒だと、町の人いろんな人と話せるのになあ。もっと、いっぱい歩き回りたかったが、今日も、朝、外で食べるので忙しい。
 7時15分出発。バスで、朝食レストランへ。キムチ朝食とのこと。レストランに入ると、テーブルにおいてある入れ物からキムチを取り出す。で、ご飯を食べる。「なんだか、テーブルにおいてある、らっきょや福神漬け、しょうが等を食べているようで、これで朝ご飯なわけ・・・。」と、思ってしまった。みんな、テーブルについて、ご飯を貰ったら、テーブルに備え付けてあるキムチを食べて、それが定食?!!?と、思って食べ始めたら、キムチが旨い。浅漬けと、しっかり付けたのがある。しっかり付けた方が好きだなあ。ま、キムチ定食だからこれでも良いかあ。と、思っていたら、ラーメンどんぶりぐらいの器にたっぷりの牛肉・牛骨スープが来た。たっぷりの1人分。これがまた、美味しい。最高。聞けば、イサンが町の人みんなに、健康になって欲しいと願って、飲んで貰ったスープだそうだ。暖まるー。旨いー。最高!!
朝飯の後は、華城(ファソン) 見学。ガイドの人が来て、詳しく説明。植民地時代、行宮は占拠されて、あちこち破壊。2000年過ぎ、復元。イサンの舞台になったところ。イサンの父(祖父の長男)が、23才で餓死させられた米びつも置いてあった。米びつで餓死とはなあ。かわいそうなもんだなあ。可愛さ余って、憎さ100倍か!!!
8000人行列の絵が細かく描かれてある。凄いスケールだ。ガイドさんは、元館長さんだったというので、説明も詳しい。そして、1人でドンドン歩いて行く。小走りで付いて行かないと、遅れてしまう。みんなが来ていなくても、ドンドン説明を始める。梁さんは、仕方なく、通訳をしないわけにはいかないから、急いで付いて行く。最初、速く歩く先生だとは、聞いていたが、本当に速い。凄い速い。
バスに乗って、城壁に沿って登り、城壁の説明に入った。この時代だから、城壁からの穴は、銃口であった。朝散歩したコースに合流した。暖かい、春の日。柳青める。桜も、ちらほら。白木蓮の白もくっきり。城壁が、波打って遠くまで続いている。さすが、世界遺産である。「世界イサンか。どうりで!!!!」
水原(スウォン) は、人口110万人という。城壁に沿ってある川も温し。川沿いの散歩も良いだろうなあ。1日ゆっくり散歩したいところだなあ。

バスで、移動。田舎の民家風の家に着いた。ここで、宮廷料理のミニ版を昼食で食べるという。ご飯、スープ。料理の品数も多い。食べやすい。韓国は、日本の味の故郷なのかなあ。    美味しい。
そこから、15分ぐらいで、ナヌムの家へ。 広州市。
着くと、ボランティアの工藤さんと斉藤さんが案内してくれた。ナヌムの家は、日本軍「慰安婦」だった人の生活する施設である。そして、歴史館も併設されている。正面には、記念碑やモニュメントもある。工藤さんは、3年前から常駐している日本人ボランティアである。日本語教師もしながらのボランティア。斉藤さんは、韓国に10年住んでいて、夫が韓国人。去年9月からボランティアをしている日本人。2人の日本人に、案内して貰った。
集会室に案内されて、ビデオ『ナヌムの家のハルモニ達』を見た。これは、吉川春子議員と映画監督が、ナヌムの家を訪問して、インタビューしてハルモニ達の思いを伝える映画である。撮影できるまでには、なかなか大変だったようだ。
年間、一万人訪問者。外国人は、三千人、うち日本人は、千五百人。

安所長の話
・1992年 ナヌムの家
1995年 現在地に移転(所有者が土地・建物を寄贈してくれる。)
2000年 社会福祉法人(支援者からの支援で運営。)
1998年 日本軍「慰安婦」歴史館できる。
・ユネスコ登録申請、国の遺産申請
・ハルモニの遺産2000万ウォン(200万円)で、交流施設を作る予定。1煉瓦募金 で集めたお金と併せて、宿泊施設などのあるものを作りたい。
亡くなったハルモニ
「キャラメル一個で、釣られて付いて行ってしまった。日本人で優しくしてくれた人も いた。純潔を失ってしまっているので、もう結婚はできないと、自分であきらめて生き てきた。」

証言 パク ギョクチョン
「17才。車に押し込められて、連れて行かれた。トラックには、22人乗っていた。北に向かっていった。慰安所に4年間いた。人夫作業もさせられた。1945年ソ連のヒコーキが飛んできたら、日本兵はいなくなる。将校が、逃げろっと言って居なくなったので、山の方へ逃げた。結局行くところが無く、朝鮮人部落に逃げた。50才まで、おじいさんと息子の居るところで暮らした。結婚して、一男一女。夫が死んで、ナヌムの家に来た。11才から、14才の女の子は、みんな連れて行かれた。」

証言 イ オンスン
「貧乏だつた。15才で養女に出された。そこから、売られて行ったところで、1942年7月29日、日本人に連れて行かれた。飛行場で、最初、働いた。その後、慰安所で働かせられた。慰安婦で、帰ってきた人は少ない。どうしてよいかわからなかった。1日、4、50人も相手をさせられた。14才の子は、役に立たないと言われて、刺し殺された。それを、「慰安婦」に見せつけた。『よく見ろ!』 そして、大通りに捨てられた。犬に食わせるため。一度、逃げたが、捕まって、子宮を取り出された。天皇は、謝って欲しい。」

証言 キム ケンジャ
「お金を稼いだのは、日本だ。強制的に連れて行って、戦争が終わったら、自分たちは帰って、私達は残された。謝罪しないという法はあるのか!!もう、少女時代は戻らない。」

途中、NHKソウル支局の取材が入った。日本から来た、訪問者達を映させて欲しい。と、言う。
「籾井会長で、番組ができるの?」
「ちゃんと、番組にするなら、協力するけど・・。」
「NHKで、信用できるかなあ?」
みんなの中には、大部、NHKに対する不信感もあるようだった。でも、きちんと事実を伝えるのならと、協力することとなった。

歴史記念館
証言や持ち物、地図等掲示してある。訪問した人たちのメッセージもある。あと、印象的だったのは、慰安所の小部屋が作ってあることだった。四畳半ぐらいの暗い小部屋。
入ると、悲鳴が聞こえてくるようだった。
次に、ハルモニ達に会いに行くこととなった。疲れもあるので、会うのは難しいかな・・・と、言われていたので、会えることになって、みんな喜んだ。少しでも顔を見たり、話を聞けたら・・。
ハルモニの住居棟に行き、大広間に案内された。で、どうなるかと思ったら、個々にハルモニの所に行って話をする形での交流だった。1人、日本語で喋っているハルモニが居たので、私と高橋さんもそこへ行って話を聞いた。「食事の後は、裏山の散歩に行ったりしている。」「他の人は行かないので、1人で行っている。」「日本語少しわかる。子どもの頃は、日本語勉強して親に怒られたが、「慰安婦」にされて、日本語も少し覚えた。」「こないだ、みんなで名古屋に行ってきた。」
 穏やかで、優しいハルモニだった。話せて良かった。
ハルモニ達はかなり老齢で、私達の話した人はしっかりしている方だという。すこし、認知症の始まっている人もいるという。 奥の方では、梁さんに大きな声で怒鳴るように話している人も居た。後から聞くと、安倍首相に怒っていたとのこと。男性に拒否感情を持っている人も居るという。
お別れをして、ナヌムの家を後にした。

ボランティアの斉藤さんも、一緒のバスに乗った。ソウルに帰るという。32才。A・Aユースネットというもので、韓国に留学。友達に在日の人も居た。韓国語覚えたいというので、韓国に。その時に、夫と出会って結婚。5才の子ども居る。「旅とも」の社員でもある。韓国は、夫婦別性。女性は、一生姓は変わらない。子は父の姓。土葬。

 晩飯は、焼き肉屋。
「よ、待ってました。」
「でも、日本の焼き肉とは少し違う。いろんな料理も来るよ。」
「肉だけ、がつんと食べたかったなあ。いろんな種類の肉を!本場の肉を!」
でも、焼いて食べる肉も出てきたから、満足。最終晩餐。食べながら、一言感想。
・ハルモニにあえて良かった。
・水曜デモ、生の現場に立ち会えて良かった。
・前回、富士旅行社の旅で、秀吉の侵略の地を訪れた。秀吉軍の祝宴で、大将に酌をして いた女性が、大将が酔ったところ、抱きかかえて川に飛び込んだと言う話を聞いた。
・参加者の1人1人が熱心で、日本でもいろいろな問題に一生懸命に取り組んできたこと がわかり、学べた。
・料理が全て美味しかった。
・日本の運動が、「枠」を持っているのでは無いか?もっと、国を超えた連帯が必要だと 思った。
・秀吉侵略の時、秀吉軍のあまりのひどさに、朝鮮側に付いた雑賀衆(忍者達)がいたと いう話が心 に残った。
最後が、高橋さんのまとめで、大変良かった。みんなから、高い評価を受けた。
    高橋さん 流石!! 駄洒落だけじゃない。

1987年 韓国新憲法制定  ここから、韓国の民主化始まる。
  うーん。反日では無い。日本のマスコミが取り上げるような考え方じゃないよ。
「人を信じないのは、自分を信じられないことである。」
途中、ナンタショウを見に行く人たちが席を立った。よく食べ、よく話し、麦酒も旨かった。
ここから、各人自由行動。
「顔パックやりに行かない?」と、梁さんに声をかけられたが、僕たち真っ黒な顔には、顔パックなんて効かないだろう。高橋さんと、2人で明(みよん)洞(どん) を歩きながら、ホテルに帰ることにした。ホテルまでは、30分ぐらいかな。明洞は、人であふれていた。上野アメ横みたいな。渋谷みたいな。若い人だらけだ。見ても人だらけで、歩けないぐらい。そして、やたら、化粧品屋が多かった。おしゃれに関心が強いのかなあ。結局、私達は買うもの、買いたいものは一つも無し。店に入る気もしない。年かなあ。 ただ一つ寄ったのは、コンビニ。麦酒を買って、ホテルで飲んで、本日終了。
  「やっぱり、僕たち、朝型!!」
アンニョンヒ チュムセヨ(おやすみなさい)」


世界では

 ・国連人権委員会 差別防止・少数者保護委員会

「クマラスワミ報告」慰安婦問題の報告書 日本政府は認めていない。

最終見解

締約国は、被害者の大半が受け入れ可能で彼らの尊厳を回復させるような方法で
「慰安婦」制度に対する法的な責任を認め、素直に謝罪し、生存している加害者を
訴追し、全ての生存者の権利として適切な補償を行うために迅速で効果的な立法府及び 行政府による処置を執り、本問題について生徒および一般公衆を教育し及び被害者を 中傷し、あるいは出来事を否定するあらゆる企てに反論し及び制裁処置を執るべきで ある。

・英  エコノミスト3・7号
「証言を疑問視することによって、つまり彼女たちを嘘つきと呼んで、安倍氏は過去の 傷に対する現代の侮辱を加えているのだ」「恥を知りなさい、ミスター安倍」

・6・11ワシントンポスト紙に日本の右派国会議員「慰安婦否定広告」
米国下院決議 「ここまで歴史の事実を否定する日本の状況で、決議に賛同しな
かったら、自分の人権感覚を疑われてしまう。」と、議員。

・ドイツではナチス関係者は、今も訴追され処罰されている。
・2007〜2008
オランダ、カナダ、EU、韓国、台湾の各議会で、「慰安婦」決議。
3月29日(土) 韓国最終日
朝、6時半ホテル朝食。初めての、宿泊ホテルでの朝食。ただ、6時半と、早い。うーん、散歩は難しいかな。荷物整理もあるし・・・。で、部屋でテレビをゆっくり見る。日本のBSは入る。で、「ちりとてちん」「ごちそうさん(最終回)」を見る。そして、荷物整理。慌てないで、忘れ物しないように。
今日は、梨花女子大の学生さん達と交流。梨花女子大は、ソウルの中心部にある。背中合わせに、延世大。 梨花女子大正門から入る。待ち合わせ時間に、20分ほどあるので散歩。まあ、おとぎ話に出てくるような、西欧風の様な、お洒落で、規模が大きく、素敵な大学である。樹木も多い。教会の建物もロマンチックだなあ。草花も春を謳歌している。暖かいし、散歩しても良いし、寝転んで本を読むも良いし、サンドイッチを抱えてピクニックも良いだろうなあ。良い大学だなあ。 東京の大学は、もっとコンクリートだらけのような、箱形のビルだらけのような、アパート群のような。
現代的なデザインの、ひときわスケールの大きい建物は、サムスンが金をだしていると言う。大企業が、絡んでいるんだな・・・。 まあ、良い環境だなあ。
 学生さんが待ち合わせ場所に来て、サムスンビルに案内してくれた。エレベーターで上がり、教室に入る。イファナビサークル(梨花ナビ)のメンバー、
13人がずらりと並んでいた。サークル員は30名。2012年結成。大学の総長が、初代総長を美化し、親日派を支持する発言に憤った学生達が集まり、結成。
 戦争の暴力から解放されて、自由に羽ばたいて貰いたいという願いが、ナビには込められている。
 新入生も、何人か参加していた。韓国は、3月が新年度スタート。

・毎週水曜デモの主幹団体
・セミナー  毎週月曜日の放課後。全員集まって、読書、討論、博物館等見学、演劇鑑       賞・・・。
・キャンペーン
・ナビ コンサート
(サポーターズ)1200人観客が集まった。200人の学生サポーターズ。収益を        少女像に募金。
・イファナビ コンサート 300人観客
・大学生国際サークルで討論会
・活動目標  平和な世界  戦争の無い世界
授業料も高く、就職も厳しいが、みんなで集まって活動を続けている。
意見交換
・天皇の責任もあると思う。
・韓国では、家父長的な男性が多い。保守的土壌も根強い。
・ハルモニに感謝している。「戦争は絶対にしてはいけない」と言うことを、実感した。
・田舎で、保守的同級生と話すが、だんだんわかってくれた。
・埼玉県宮代町議会では、「慰安婦」問題の解決を求める決議が出された。
・叔母にサークルのことを話すと、「何で、そんな暗いサークルに入るの?」と言わ  れた。 それでも、何度か話しているうちに、理解してくれ、カンパもしてくれた。
・イファナビコンサートは、大学構内での会場は、貸して貰えなかった。先生達に丁寧  に説明したけど、ダメだった。で、ソウル市立大会場でのコンサート。はじめは、や  っぱりダメで、ソウル市長と掛け合って、やっとOK。
・友達を誘ったら、「怖い」と言う子もいた。深刻な話からで無く、コンサートやポス  ターなど、軽い方法から紹介していこうと思う。
・中韓日が、仲良くなれる方向を目指したい。
・岩崎書店に勤めていました。検定教科書に対して、国連人権委員会から日本へ勧告出   ているのに、メディアもあまり取り上げない。

2時間半あまり。白熱教室だった。日本側の年配の方の話には、梨花女子大生は涙を浮かべて聞いていた。一歩前へ、歩み出す若さがあった。きっぱりとした考えのできる、学生さん達であった。将来にわたって、連帯していけたら良いなあ。老若男女、共に手を携えて、国を超えて仲良くしていけば、さらに平和が深まるだろう。平和の砦が築けるだろう。戦争をして、得をする市民はいない。真実が明らかになって、損をする市民はいない。本当のことを知り、真実を掴んで離さない。国が戦争を始めようとしたら、きっぱりと、断固として止める。
「私達は、戦争はしない。」
「戦争はさせない。」
「戦争は、許さない。」
  世界の市民は、手をつなぐ、連帯する。平和で、自由で、自分の人生を精一杯生きる。そんな、世界にしたいなあ。世界市民となりたいなあ。誰もが、自分の可能性に精一杯挑戦できる社会を!!
いろんな外国に行きたいなあ。沢山の人と話したいなあ。連帯は、世界の人々とも。
        世界の人が、笑い会える社会を!!!!!

さて、バスは、仁川国際空港へ。でも、途中でランチ。最後のランチ。たっぷりの、内容。まだ、頭の中がごちゃごちゃ。ランチでは、熱燗もあったから、一つ頼んだ。湯飲み茶碗にいっぱいの熱燗。
「随分、変わった出方だなあ。日本酒君。」
 キムチも美味しい。キムチは、よく食べたなあ。朝昼晩。毎日毎日。はじめは、口の中がキムチっぽい。歯を磨いても、取れない。次の日は、喉まで、キムチ風になってきた。三日目には、胃が少し重い。辛いの食べすぎかな? さらに、進んで、腸の中がキムチだらけに。最後は、とうとう出るものにまで・・・。体中がキムチ色に染まってしまった。
 でも、心地良い。旨かったたあ。飽きなかった。最後だから、高橋さんも、駄洒落連発。最終日で、少し、ほっとしているのかなあ。梁さんも、流石に、疲れたようで、駄洒落に乗ってこなくなった。  すいません・・・調子に乗りすぎた・・。
ランチの後は、また、バス。一路、仁川国際空港へ。近くの金さんと話す。民主化運動の時は、凄かったとのこと。あまり、運動には参加しなかったこと。習字サークルだったこと。聖心女子大の交換留学生に合格したけど、断念したという。授業料は免除だが、生活費の負担を両親にかけるのが忍びなかったと。日本に来たことが無いのに、日本語がぺらぺらである。ソウルで、勉強したという。勉強熱心な人であるなあ。そう言う人にガイドをして貰って、幸せだったなあ。
添乗員の堀口さんとも近かったので話した。「キロギアッパ」???!!鳥の雁の事。で、お父さんが、単身赴任で、家に仕送り続けている家庭の事だそうだ。実質母子家庭になって、子どもの教育にお金をつぎ込むのだそうだ。かわいそうな、お父さん。そのまま、捨てられてしまうことや自殺してしまう人もいるそうだ。社会問題になっているという。ま、日本でも、私の子どもの頃は、父は出稼ぎで、正月ぐらいしか帰ってこなかったなあ。学校でも、文集を作って東京の出稼ぎ父さん達に、送ったりしたもんだ。堀口さんの、「添乗生活で一番困った客の話」もおもしろかった。超わがままな、お客で、ツァーの誰とも合わず、もめてばっかり。ついには、部屋の同室の客とももめてしまい。
「添乗さん、ロビーで一杯飲みながらでも・・。一夜をお願いできませんか?」と頼まれ、やむなく、ロビーで一夜を共にしたという。 若き、堀口さんの大変な体験!!!

  通訳・ガイドの梁さんから、連絡。アジア連帯会議12回目が国会内で行われるという。6月2日 国会で大きな集会を開くという。一般参加者もOK。梁さんは、その準備会議に参加という。
あと、私から、吉見裁判。第4回公判 5月19日 3時東京地裁 抽選あるときは、2時には、着いている方が良い。前回は、100人を超していた。梁さんも、支援している。

途中、お土産屋さんに寄って、いよいよ仁川国際空港。来たときと逆の手続きをして、出国。飛行機に乗る前に、高橋さんと「お疲れさん」の乾杯。飛行機では、夕食時に缶麦酒。勿論、おかわりも。飛行機にはトイレも付いているから安心。でないと、途中止まれるもんじゃ無いんだから飛行機は・・・。麦酒は美味しいなあ。旅は良かったな。沢山のことを学べ、見たり聞いたりできた。いろいろな人と出会えた。通訳・ガイド・添乗員の3人も専門家がいて、何でも教えてくれた。質問にも、次から次に答えてくれた。こんな良い旅は無いなあ。人間って良いな。旅って良いな。富士国際旅行社の旅は良いなあ。
       チャム チョックニョ(すばらしいですね。)
高橋さんと、いろいろ話せて、冗談も言い合って、いつも隣にいて安心・心強い。
  「友あり、遠方に行く。また、楽しからずや。」


参考・引用文献
『従軍慰安婦』吉見義明 『従軍慰安婦・慶子』千田夏光 
『従軍慰安婦 正篇』千田夏光 『日本による朝鮮支配』姜 在彦
『20間の水曜日』尹美香・訳 梁澄子 『日本軍「慰安婦」制度とは何か』吉見義明
『「村山・河野談話」の見直しの錯誤』林博文他 『中学生のための「慰安婦」展』WAM
『証言と沈黙』WAM(女達の戦争と平和資料館)    『梁 澄子さん学習会』
『軍隊は女性を守らない(沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力)』WAM
『オレの心は負けてない(在日朝鮮人「慰安婦」宗 神道のたたかい)』在日の慰安婦裁判を支える会『韓国の歴史』国定韓国中学校国史教科書

ハルモニの絵