11.ちひろ美術館・東京

  @東京都練馬区下石神井

  A西武新宿線「上井草駅」から徒歩7

  B月曜休館日・2月は冬季休館

   Cちひろの作品展示、アトリエ復元、絵本カフェ、ちひろの庭、ミュージアムショッ   プ、図書室、子どもの部屋。

 

 住宅街の中に、静かに建っている建物が、ちひろ美術館である。なんとも、落ち着いた雰囲気がある。中に入ると、展示室は、見学しやすく、コンパクトでゆったりしている。なんと言っても作品が良い。アトリエも、ちひろらしい。

いわさきちひろ (1918〜1974)

  福井県武生市生まれ、東京育ち。父は陸軍技師。母は、高等女学の教師。恵まれた家庭に生まれ、絵が好きで活発な女学生。1939年見合い、気が進まないままの結婚。本人は、結婚しても、ズーと彼を好きになれず・・。夫の勤務先の大連での生活始まる。苦しみの日々の中、夫は心の病で自殺。

 1940年ちひろ日本に戻る。1944年満州女子開拓団の女性達に書道・裁縫を教えるために再び満州に入るが、現地はそれどころではなかった(戦争末期のため)。で、なんとか、東京に帰る。  が、5月の空襲で家を焼かれ、松本の母の実家に疎開。

 「玉音放送」を、26才の夏に聞く。沢山のスケッチをし、武者小路実篤や宮沢賢治に傾倒していく。ある日、日本共産党の演説会を聞きに言って深い感銘を受け、1946入党。ちひろは、共産党のビラやポスターを沢山描く。もっと旨いポスターを描きたいと思い、上京。共産党の宣伝部の芸術学校で絵を学ぶ。芸術学校で授業を受けるのは夜で、昼間は画才をかわれて人民新聞社の記者として働く。同時に、赤松俊子(丸木俊)のデッサン会にも通う。

  ここで、丸木俊との出会いもあるんだなあ。

そして、生涯のパートナー、松本善明氏との出会い。松本善明の求婚の日が117日(ロシア革命記念日)、結婚式は翌年の121日(レーニンの命日)。うーん、純粋だったんだなあ。時代を感じるなあ。松本氏は、議員団の秘書。そして、結婚に当たっての誓約書。 その後、共産党の分裂や「アカ批判」を乗り越えて、自分たちの思いを誠実に貫いた人だなあ。私利私欲がない。子どもに優しい。人を温かい目で見ている。困難に愚痴を言わない。凄いなあ。ちひろは、ずーと、共産党だったんだなあ。

       (別冊太陽「いわさきちひろ」 参考)

 ちひろ美術館は、もう一つある。安曇野ちひろ美術館である。そこも行ってみたいなあ。安曇野と言えば、常念岳の麓。アルプスの雄大な景色。信州そば。NHK朝ドラ「おひさま」の舞台でもある。自転車で散歩も良いところだろうな。滝沢さんは、安曇野でそば屋を開きたいとか言っていたが。そばの本場である。

 12.新しき村

   @埼玉県入間郡毛呂山町  

  A八高線毛呂駅徒歩20分  

  B美術館は月曜休館    

  C村である。所有地10ヘクタール 借地3ヘクタール。 村内生活者13人、

 村外会員 160人。卵、椎茸、米、茶、野菜、タケノコ、竹炭等の生産・販売。新しき村美術館。新しき村ギャラリー。農産物販売所。太陽光発電。

 「新しき村」は、あの武者小路実篤の新しき村である。しかし、なんで、毛呂山に・・。「新しき村」ホームページを見てみよう。

新しき村は、武者小路実篤が提唱した、「人間らしく生きる」「自己を生かす」社会、の実現を目指して、1918年、宮崎県に誕生。初期の入村は15人。発電所建設で、土地の半分がダムに沈むことになり、1939年毛呂山に新しき村の「東の村」として開村。(宮崎には、2家族残る。)1968年には、村で誕生した子ども達のために幼稚園も作られる。廃車となった、都電の車両が最初の園舎として使われる。1976年武者小路実篤死去。しかし、村は、続く。

新しき村の精神

 ・全世界の人間が天命を全うし、各個人の中にある自我を生長させることを理想とする。

 ・自己を生かすために、他人の自我を害してはならない。

 ・全世界の人々が我らと同じ精神、同一の生活方法を取ることによってその義務を果たし 、自 由を楽しみ、正しく生き、天命を全うすることができる道を歩くように心がける。

 ・かくのごとき生活を目指すもの、かくのごとき生活の可能性を信じ、また望むもの、それは我 らの兄弟姉妹である。

  新しき村には、何回来たかなあ。独身の頃、友達と、妻と、家族で、青森のお袋を連れて・・・。何回も来たなあ。

「入村しないの?」

「うーん。農業は、得意じゃないからなあ・・。」

「毛沢東の、下放。働くものから学ぶ。働くことによって、知識は、鍛えられる。そういう、考えにも似ているけど・・。」

「うーん、修行は得意だけど、ぎっくり腰があるからなあ。農作業には向かない身体だな あ。」

「晴耕雨読。あるいは、宮沢賢治の羅須地人協会。ここは、最適じゃないの?」


「独身の時は、比叡山も考えたんだけど・・。教職もあったし、家族ができたり・・。」「結局、優柔不断ねえ。」

「う・・・。確かに・・。」

    しかし、武者小路実篤、宮沢賢治とも共通するなあ。みんなで、幸せになりたいもんだ。特に、子ども達には、平和と学びの場を絶対的に保証してやりたい。家庭が子どもを守り、地域が子どもを見守り、社会が子どもを励まし、・・。学びたい子には、奨学金も十分保証してやりたい。今の、奨学金制度は、サラ金のローンのようだ。とんでもない。利息も高い。本当は、返さなくても良い奨学金をしっかり作らないと。子は宝。どんなに貧乏な家に生まれても、家庭が子どもを支えきれないような状態でも、子どもがやる気さえあれば、夢を実現する手助けをしてやりたい。子どもの未来が、明るくなるように、大人の責任で。

 親を殺したり、祖父母を殺したり、・・・みんな、愛されずに子ども時代を過ごした子達だ。愛情を与えれば、子どもはドンドン育つ。事件は、理由があって起きる。事件を起こすほとんどの子は、愛情不足である。時代が進んできたのに、愛情は不足している。

 

1人の子ども、1人の先生、一冊の本、一本の鉛筆で世界を変えることがで きるのです。  マララ

 

 13.東京大空襲戦災資料センター

  @江東区北砂一丁目

  A都営新宿線「住吉駅B1出口」徒歩18

  B月・火休館日  12時から午後4時迄開館

  C館長 早乙女勝元 「東京大空襲を記録する会」文献・物品収集。しかし、東京都   の「平和祈念館」建設計画凍結。で、2002私設のセンターとして完成。200   7増築、展示内容充実。映像資料もあり。

   1945.3.10(東京大空襲)東京下町地区を目標にした無差別爆撃で、人口過密地帯は火炎地獄と化し、羅災者は100万人を超え、推定10万人もの尊い命が失われました。(パンフレットより)

 戦争とは言え、こんな非道なことが許されるのであろうか!!縦横に延びている大小の川には、無数の死体が沈んでいたという。引き上げても、引き上げても死体は浮かんできたという。逃げ道のない火炎地獄。人を焼き尽くすための爆撃としか思えない。これは、明らかに犯罪である。計画した者も、実行した者も裁かれるべきだ。戦争はしてはならない。そして、戦争と言う名で、原爆や空襲や特攻(人間爆弾)、ホロコースト等を許してはならない。青森でも、空襲については今でも語り継がれている。青函連絡船も悉く、空爆されたのだ。

  本当は、こういう施設こそ、国や都がしっかり語り継ぐための施設として作る責任があるのになあ。この所は、埼玉平和資料館や他の施設でも展示内容が当たり障りのないものになったり、歴史を曲げているような表現にしたりすると言う動きが、加速してきている。 教科書の内容もそうだ。「新しい歴史教科書を作る会」等は、全く少数派だったのが、今では大手を振って、あたこちの市町村に、その教科書を押し込んできている。さらに、他の真実を伝える教科書を「採択するな!!」と、脅しをかけるまでになっている。あっという間に、時代が変わった!?安倍首相になって、顕著である。

 14.しょうけい館

    @東京都千代田区九段   

   A地下鉄九段下六番出口 徒歩1分  

   B月曜  休刊日

    C国立の戦傷病者史料館です。平成18年開館 戦傷病者とその家族の労苦を伝え    る。 館名は、「承継」、受け継ぎ、語り継ぐという言葉から来ている。現在、企    画展で、「武 良 茂(水木しげる)の人生」開催中。

   東京大空襲戦災資料センターと違って、国立だから大きなビルで、施設も大がかりで お金がかかっている。でも、入場料は無料。ジオラマも立派なのがある。証言映像シア ター。  図書閲覧室。情報検索コーナー。

  しかし、戦争で生き残った人たちも大変な苦労をしたことがわかる。片手を無くして、 帰国して、教員になった人の証言をビデオを見たが、○付けでは文鎮をいくつも持っていて、答案の押さえにしたとか、他の先生にもカバーして貰ったとか、他の先生にカバーして貰っているから自分の意見は言わなかったとか・・・・、沢山の苦労がわかった。

  ただ、やっぱり、もっと平和の大切さとか、軍隊の中でのしごき・いじめ・差別等で苦 しんだ人も沢山いたろうから、そう言う視点も展示して欲しかったなあ。

   いずれにしても、戦争がなければこういう負傷はなかったろうになあ。苦しまずにす んだろうになあ・・。子どもの頃弘前の観桜会へ行くと、アコーディオンを弾いた戦病者がたくさんいた。

苦労したんだろうなあ。

 

 15.山谷

   @東京都台東区 

  A雷門から歩いて、20分ぐらい

  B何時でも、存在している。  美術館とかじゃないので、定休日無し。

   C日雇い労働者の滞在する場所、簡易宿泊所が多い。泪橋(なみだ橋)は、かつ         て江戸の境界線。近くに、小塚原刑場や遊女の投げ込み寺(浄閑寺)があった。        すぐ隣には、吉原もある。山谷のすぐ隣が吉原なんだ。江戸時代から、何が変わっ   たのだろう。何故、ズーと残っているのだろう。働いている女の人はどんな気持ち   かなあ?  吉原と道一本挟んで、樋口一葉記念館もあり。

 

            山谷ブルース   作詞・作曲  岡林信康

 

今日の仕事はつらかった  あとは焼酎をあおるだけ

どうせ どうせ 山谷のドヤ住まい ほかにやることありゃしねえ

一人酒場で飲む酒に 帰らぬ昔がなつかしい

泣いて泣いてみたってなんになる 今じゃ山谷がふるさとよ

 

工事終わればそれっきり お払い箱の俺たちさ

いいさいいさ山谷の立ちん坊  世間恨んで何になる

 

人は山谷を悪く言う  だけど俺たちいなくなりゃ

ビルもビルも道路も出来ゃしねえ  誰もわかっちゃくれねえか

 

だけどおれたゃ泣かないぜ   働く俺たちの世の中が

きっときっとくるさそのうちに その日にゃ泣こうぜ

うれし泣き

  教員新任で赴任した学校に、斉藤さんという人がいた。納め会でよく歌ってくれたのが、「山谷ブルース」である。まだカラオケもない時代。みんなが歌っている人を見つめ、じっくり聞いた時代。アカペラで、感情込めて歌う山谷ブルースは最高であった。涙が出てくるぐらいであった。斉藤さん達に進められて、組合にも入った。この歌を、こんな心を込めて歌える人に、間違いはないと。

  山谷には、浅草から歩いて行くのが良い。隅田川沿いに歩くと、川向こうには、今はやりのスカイツリーがどこまでも見える。山谷までついてくるみたいである。江戸時代、船で吉原に通ったという川の跡も見ることが出来る。そこを歩いて行くと、吉原大門の信号に着く。大通りを少し行くと、右側に、あしたのジョーの人形がガードレールの所に建っている。商店街「いろは会ショップメイト」を入っていくと、一帯が山谷地区である。あしたのジョーの故郷でもある。
商店街には、あしたのジョー関係の横断幕や幟などが沢山ある。  が、商店街自体は、少し寂れている感じ。酒の自動販売機の元では、座り込んで酒盛りをしている数人。あちこちに自転車が沢山止めてある。凄い多い。何百台と、あちこちに止めてある。ここに住んでいる人たちの自転車である。 駐車場で寝転んで叫んでいる人もいる。その人の近くには、ワンカップの空き缶が、数個転がっていた。今、12時頃。その先に行くと、山谷の交番。交番と言うより、警察署みたい。でっかくて、頑丈なビルである。通称「マンモス交番」。 

 ドヤ街は、四方八方に広がっている。一泊2500円ぐらい。小さな立ち飲み屋には、数人の人たちが道に椅子を出して、飲んでいた。

  人が沢山集まっているところを覗いてみた。炊き出しと相談会をやるという。掲示物を読むと、まず、撮影禁止。年末年始での炊きだしに来ている人は、朝食で百人ぐらい。夕食で二百人ぐらい。ドラム缶の火燃しにみんなあたっていた。全員男。そう言えば、山谷に来てから、出会った人はすべで男であった。  ボランティアの人もみんな男であった。

 キリスト教会の事務所もある。日雇い労働組合もある。暴力団もいるんだろうなあ。

 2010年あしたのジョー実写版映画を期に、町おこしに、あしたのジョーも一役買っている。泪橋は、丹下段平のジムがある設定だったが、今は、ただの交差点である。橋も、川もない。

  しかし、ここで日本を考えるには良い場所である。働くと言うこと。格差社会。人生をどう生きるか・・。働く人を守るというのは、どういうことか。ブラック企業とかのさばっていて良いのか!!企業の好きに、させて良いのか。労働者をただの部品としかとらえていない企業は許されるのか・・。派遣の働き方って、会社にとってだけ都合が良いのじゃないか。時間外手当を出さないって、どういうこと!!!     

 精一杯働いて、報われる社会。働いて、家族を養い、幸せに暮らす権利を守る社会。過労死を無くさなくちゃ。人は、企業の奴隷じゃない!!働く人の権利をきちんと守らせよう。世界中のみんなが幸せになれたら良いなあ。人類は、本気でそんなことを考えても良いのじゃないかなあ。今の社会なら、出来るんじゃないかなあ。

  NHKドラマ「サイレント・プア」は良いドラマだなあ。声なき貧困。引きこもり、ゴミ屋敷、ホームレス等の社会問題を解決するために活動するCSW(コミュニティー・ソーシャルワーカー)の奮闘を取り上げている。深田恭子主演。米倉斉加年が、深みのある祖父役。見ていて、何度も涙が出て止まらない。こんな仕事があるんだなあ。苦しんでいる人に寄り添い、少しずつ自立を見守ってあげる。凄い仕事だなあ。やってみたいなあ。NHKのオンデマンドにも入っている。是非見て欲しいドラマだなあ。9話まである。

  「目をつぶって腕を見ないからとて、クサリが消えたわけではない。会いたい人に会った夢を見たからとて、牢獄の外にいるわけでない。自由が欲しいなら、見ることだ。クサリを見なければクサリは壊せない。」 むの たけじ

 

 16.歌声喫茶「ともしび」

  @東京都新宿区新宿

  A新宿駅東口から徒歩五分

  B月・火・水 PM5時から10時半 木・金・土 PM4時から10時半 日・祭日    PM4時から9時半  お昼の歌声 木・金・土 PM1時半から350分 お昼    は、ワンドリンク付き1500

  C皆で歌うところ。 

  何十年かぶりで、ともしびに行ってくる。ビルの6階。エレベーターを降りると、すでに、階段にまで列が出来ている。「結構、混んでいるんだなあ」

 1時半、昼の歌声。テーブルが七つ位あって、椅子がそれぞれに67個ついている。1時半でほとんど一杯。だいたい、30人ぐらい。年齢は、780代かなあ。60代も何人か。女性が8割近い。向かいのビルは、シダックスとかカラオケビルが林立している。すぐそこが、新宿歌舞伎町。

 でも、ここも盛況である。ピアノ1人、司会・歌のリード1人、あとスタッフ34人。ソフトドリンク、お酒もメニューにはある。リクエストの紙にドンドン書いて渡している人もいる。基本、リクエスト。それを皆で歌う。リクエストした人は、前でリードの人と一緒に歌っても良い。お客さん全員が声を揃えて歌う。良い声も聞こえてくる。昔ならした人なんだろうか?今でも、合唱をやっている人なんだろうか?  テーブルには、歌集が載っていて、ページも言ってくれるので、安心。一緒に歌える。
「早春賦」「北国の春」「思い出のグリーングラス」「寒い朝」「チェリーピンクマンボー」「雨」「夢路より」「妹」「あの日に帰りたい」「ステンカラージン」「トロイカ」「春に」「オーシャンゼリゼー」「青い山脈」「夜明けの歌」「小さな木の実」

   ここで休憩。ズーと、約1時間歌い続けた。どうしようかなと思ったけど、郷に入っては郷に従え。「ま、一緒に歌っちゃおう。」

 良い歌が一杯だなあ。カラオケと違って、みんなで歌えるのが良いなあ。1人1人、自分なりに思いを込めて歌える。後半は、

「雪山賛歌」「星に祈りを」「満月の夕」「花の街」「津軽のふるさと」「ふるさとは今も変わらず」「サウンドオブミュージック」「翼をください」「上を向いて歩こう」「高校三年生」「青春時代」「カチューシャ」

   で、350分。昼の歌声終了。もう、次の4時からの部に来ている人もいた。よく歌ったなあ。喉が少し痛いが、久しぶりに沢山歌ったなあ。労働歌も歌いたかったなあ。

  2014.12月のリクエストベスト8

  1.百万本のバラ 2.アムール川の波 3.街の灯り 4.アメイジンググレイス  5.5番街のマリー 6.芭蕉布 7.青春 8.白いブランコ           

 

         ふるさとは  今も変わらず             作詞作曲  新沼謙治

     爽やかな 朝靄の中を

     静かに流れる川

    透き通る  風は身体をすりぬけ

     薫る 草の青さよ

 

     緑豊かなふるさと  花も鳥も歌うよ

     君もぼくもあなたも  ここで生まれた

     ああ  ふるさとは   今もかわらず

 

     この町で あなたに出逢えて

     本当に良かった

     ありがとう ふるさとの青空よ

     友よ 君に逢いたい

 

     緑豊かなふるさと  花も鳥も歌う   よ

   君もぼくも あなたもここで育っ   た

     ああふるさとは 今もかわらず

 

     みんなで声を かけあって

     力を合わせて  生きてきた

     遠い山並み   その姿

     いつも静かに 見つめてる

 

     緑豊かなふるさと 花も鳥も歌うよ

     君もぼくもあなたも  ここで育った

     ああふるさとは 今もかわらず

 

     ふるさと 未来へ続け

 

 

17.第五福竜丸展示館

  @東京都江東区夢の島 

 A地下鉄有楽町線、りんかい線、JR京葉線 「新木場」徒  歩10

  B月曜休館 

   9時半から4時 

 C都立の施設。      1976 年開館 

   展示の趣旨

 「この展示館には、木造のマグロ漁船「第五福竜丸」およびその付属品や関係資料を展示しています。「第五福竜丸」は、1954.3.1に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。

 木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのです。

「第五福竜丸」は、1947年和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、1967年に廃船になったものです。

東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨事が再び起こらないようにと言う願いを込めて、この展示館を建設しました。」(ホームページより)

 「新木場」で降りると、夢の島。以前は、ゴミの島として有名であったが。今では、スポーツ施設が沢山作られている。歩いて行くと、陸上の練習している中学生達にも会った。プールもある。熱帯植物園もある。清掃工場もある。夢の島競技場もある。広いところである。ヨットハーバーがある目の前に第五福竜丸展示館はあった。土曜の10時頃着いたが、誰もいない。中に入ると、でっかい第五福竜丸がどうーんとある。その下や、脇に展示スペースがある。パンフレットや本を売っているところに1人スタッフがいた。入場は無料である。来館者名簿を見ると中学生の団体客が結構来ている。千羽鶴もあちこちに飾ってある。これは、核兵器が人類には、必要ないことを訴えている施設である。被爆から、半年後に亡くなった無線長の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい。」の言葉が刻まれた碑も外にある。

   オバマ大統領は、プラハの演説で核軍縮を訴えて、ノーベル平和賞を貰ったのにどうしたんだ。広島にも来て欲しいなあ。(新聞では、米国側から、打診があったが、日本の外務局長が断ったとか・・。)世界は、あちこちで火の手が上がっているじゃないか。戦争で、沢山の子ども達が殺されている。十歳の少女に爆弾を巻き付けて、遠隔操作で爆発させるなんて!!!!テロを行うなんて、誰が許すだろうか!!!!!   世界中のどこの神様だって、絶対に許さない。大人が平和な社会を作らなくてはいけない。間違っても、核兵器に手を付けたりしてはいけない。こんな、世界だからこそ、平和を世界に実現する努力が必要だ。こんな時に、軍備を補強するのは愚者の知恵である。こういうときだからこそ、平和な世界を!!戦争のない社会を!!!子ども達が安心して夢を語れる社会を!!

power on the  peaple  (民衆に力を・・・jレノン)

I have  dream  (私には、夢がある。・・・キング牧師)

 

   <釜石小学校校歌>  井上ひさし作詞

   いきいき生きる  いきいき生きる                    NHKのドラマスペシャル

  ひとりだ立って  まっすぐ生きる                「戦後70年吉永小百合の祈り」

   困ったときは   目を上げて                      第2楽章

   星を目当てに   まっすぐ生きる                   「ヒロシマ」「ナガサキ」

   息あるうちは      いきいき生きる                   「オキナワ」「フクシマ」

   はっきり話す      はっきり話す             平和朗読会ズーと続けているんだなあ                                           「夢千代日記」もきっかけだったとか

    びくびくせずに  はっきり話す 

    困ったときは      あわてずに

    人間について      よく考える

    考えたなら        はっきり話す

    しっかりつかむ    しっかりつかむ

    まことの智恵を    しっかりつかむ

    困ったときは      手を出して

    友達の手を        しっかりつかむ

    手と手をつないで  しっかり生きる

 

18.所沢航空発祥記念館

  @所沢市並木 

 A西武新宿線「航空公園駅」徒歩8

  B月曜休館日 

 C展示館(研究室−飛行の原理、滑走路・駐機場−沢山の航空機・ヘリコプターの実機  の展示、所沢メモリアルギャラリー、格納庫−飛行の歴史、管制塔−航空交通管制と  航法、大空−飛行体験、スーベニアショップ等)

 まず、所沢航空公園。所沢の真ん中にどーんとある。日本で最初の飛行場跡に作られた公園。明治44年飛行場開設。初飛行に成功。大正8年所沢に航空学校および補給部設置。その後、東京航空学校、航空整備学校など設立された。敗戦後、米軍基地となる。昭和46年米軍基地の60l返還(現在は約70l返還)。現在ある米軍基地は、レーダー基地である。返還された場所に、公園・市役所・警察署・航空交通管制部・郵便局・団地・学校・防衛大学校等次々に建てられる。航空公園駅前には、YS−11も展示。少年航空兵の像なども残っている。現在でも、米軍基地全面返還の運動は続いている。また、学校では、飛行場跡や基地跡などの遺跡を調べる学習も教材化されている。歴教協の篠原さんは、学校の中心となって職員の研修、飛行場跡の実地見学、教材化の工夫等、みんなをリードしてくれたなあ。

 富岡の畑の中には、飛行機を隠す掩体壕も残っていたなあ。歴教協の斉藤さんは、戦争で亡くなった人の聞き取り調べなどもやっていたなあ。

  飛行機の実物が沢山展示されているので、飛行機好きにはたまらない。ほとんどが自衛隊の飛行機であるが・・。以前、米国から来たゼロ戦の展示があった。エンジンを実際に動かしたときもあった。零戦の人気は凄い。その見学で、長い長い行列が出来た。宮崎駿の映画「風立ちぬ」も、一役買ったのかなあ。でも、私は、宮崎作品は、どれも、何十回も見て、いつも、感動するが、「風立ちぬ」は、一回見たきりであとは、見る気がしない。感動はなかった。うーん。それより、零戦がいかにパイロットの命を粗末にしたかというNHKのスペシャル番組の方が良かった。パイロットの座席の背もたれが、零戦はベニヤ板状、米軍は鋼板だという。優秀なパイロットが何千、何万と亡くなっていったことか・・。「風立ちぬ」も、飛行機好きが戦争に引きずられてしまったと言うことか・・。戦争の渦の中では、やむを得なかったと言うべきか・・。戦争は、そんなすばらしい人間をも消耗させてしまう。戦争がなかったなら、どれだけすばらしい飛行機を作ったことか。戦後、その花は開いていく。  平和が大事。戦争でちった人のことを思えば、どんなことでも出来るだろう。困難はあっても、くじけることはない。自分の力を、100l発揮すれば良いのだから。人と人がつながり合っていけば、さらに力が増していく。みんながみんなのために生きていけば、世界が幸せになる。夢では無い。「イマジン」だ。村岡花子のように、「想像の翼を広げて」行こう。いつか、必ず実現できる。日本の平和が世界に広がるように・・。決して、集団的自衛権を持つことでも、武器輸出をすることでも、他国に基地を作ることでも無い。積極的平和主義は、戦争の種を世界に蒔いているようなものだ。こういう考えに、平和主義と付けてはならない。

「初夏の 光の中に苗木植うる この子どもらに 戦あらすな」  (植樹祭 皇后美智子様)

 

世の中は、だんだん良くなるのだから。よくしていかねば・・。

「九条を  世界に広げよう」  みんな賛成してくれるよ。私達は、世界市民なのだから!!

 

 

 19.在日韓人歴史資料館

   @東京都港区南麻布

   A東京メトロ南北線、都営大江戸線「麻布十番」2番出口 徒歩3分

   B日、月休館

   C第1展示室(植民地期における渡航、留学生たちによる独立宣言、関東大震災での   受難、社会労働運動、強制連行の実態、皇国臣民化など、解放前の資料展示)

     第2展示室 (日本各地から帰国するときの様子や、解放直後のくらし、民族教育の   始まり、外登法改正運動に代表される権益擁護運動など、解放後の在日のあゆみを   展示。)

     第3展示室 (日本での暮らしと生活用具、文化と風習を大切にした冠婚葬祭の様子、1930年代のオンドル部屋の再現、生活の糧としての砂利採取のジオラマ「玉川べり」など展示。)

     屋外テラス (在日百年年表、1970年代の大阪万博で韓国館に置かれたエミレの鐘(レプリカ)、1930年代の朝鮮市場と1960年代のくず鉄商店の再現などを展示。また、壁面には一世の故郷の風景が描かれている。)

     他に、企画展・図書映像資料室・セミナー室などあり。

    関東大震災の朝鮮人虐殺の調査もあり、行ってみた。道路の反対側には、機動隊のバスが三台止まっていた。この資料館は、韓国中央会館に併設されているので、警戒しているのかなあ。見学する人は、私の他には誰もいなかった。受付をすると、1人ついてくれて、何でも答えてくれた。展示は、興味深いものがたくさんあった。朝鮮人虐殺についての資料もたくさんあった。たしか、ここの館長は、姜 徳相氏。いろいろ本を読んだ中で、よく書いている人なので名前は知っていた。で、ここの資料館にも興味があったのだ。

   映画「パッチギ!」も良かったなあ。イムジン河も、学生の頃よく歌ったなあ。放送禁止の場面も出てくる。

 本屋に行くと、嫌韓、嫌中の本がずらーと並んでいる。何で仲良くならないかなあ。

  テニス仲間でも、嫌韓、嫌中の話になると話が、ドンドン広がる。ま、この頃の韓国、 中国を見ると、わからないでもないが、人の悪口も、国の悪口もあまり聞きたくないも んだなあ。私達は、人も国も表面でなく本質で、そして、国民と連帯したいもんだなあ。

   朝鮮高級学校への補助金も見送っているのはおかしい。外交では無く、教育上の観点で判断して欲しい。朝鮮学校は、「北朝鮮の学校」では無く、日本の学校教育法上の教育機関である。日本で生まれ育ち、社会を共に支えていく若者の夢を奪わないで欲しい。(無償化審査 速やかな再開願う 上野 崇之・・・朝日声欄より)

    国籍や教育内容を問わず、日本に居住する高校生全てにすでに適用されている無償化。 何故朝鮮学校にのみ適用されないのか!!! 同じ子どもだよ。差別して、さらに差別を拡大再生産するつもりか!!同じ高校生だ。

 

 

 「一緒に行きましょう

  I`II、ride with you レイチェル・ジョコブズ

 

20.航空自衛隊 入間基地

 @狭山市・入間市

 A西武池袋線「稲荷山公園駅」すぐ

 B土、日あまり飛んでいない。

  C豊岡第一病院から飛行機を見る人多し。発着の様子が間近で見られる。エ ンジンを   全開にしてから、スタートする。写真撮っている人も多し。113日は入間基地   航空祭

  所属機

   YS−11    T−4    C−1  U−4  U-125  CH-47(ヘリコプター)

   埼玉県警の「さきたま」「むさし」「みつみね」

 二千b滑走路一本

 ・陸軍航空士官学校分校が移転してくる。(1938)

 ・豊岡陸軍飛行場完成。(1940)

 ・米国軍進駐。(1945)

      ジョンソン基地と命名。

 ・航空自衛隊発足。(1954)

 ・入間基地開設。(1958)

 T-33練習機が民家を避けて、入間川河川敷に墜落。その際、送電線を切断したため埼 玉県南部及び東京都西部一帯の80万世帯が停電。信号機と鉄道が停止。(1999)

 沖縄の米軍基地の騒音も凄いが、入間基地もかなりである。普天間が住宅密集地に隣接している所を見てきたが、入間基地も負けていないんじゃ無いかな。基地の回りの学校数では、入間基地周辺の方が多いのでは。だから、かなりが防音校舎になっている。練習機が、民家を避けて河川敷に墜落したときも、かなり危なかったと言うことである。

 テニスの山田さんの証言。

 「11月22日13時45分に、私が柏原小の校庭でクラスの子ども達とジャングルジムで昼休みを過ごしていたとき、北の空から東に左回旋してきたT−33機が黒煙をもうもうと吐きながら、急速に高度を落として、入間川の河川敷に墜落していきました。その時の破裂音は、今でも忘れられません。「ビキッ」という巨大な地面が裂ける音でした。直線距離にして、学校から500bほどの距離でした。垂れ下がった送電線が学校のプールの水面のわずか5bほどの高さまで迫っていました。隣の柏原中の駐車場には送電線が地面まで達し、先生方の自動車のガラスやボンネットが破壊されました。墜落直前にパイロット2人が脱出しましたが、高度がたりずにパラシュートは開かないまま、落ちてしまいました。明らかに、学校や住宅地を避けるために、最後の最後まで機体をコントロールしていたんだとわかりました。下校後、すぐにクラスの男の子何人かが興味本位で河川敷に行き、木の枝にぶら下がったパイロットの遺体を見てしまったということを翌日聞きました。」

 危険と隣り合わせでもある。ま、米軍みたいに約束も守らず、夜中でも低空でも飛行すると言うことは無いので、まあまあであるが・・。飛行機が好きな人は、羽田や成田へ行くよりも、入間基地に来た方が良いよ。飛行機の種類も多いし。すぐ近くで、轟音と共に、飛び立つのを見ることが出来る。

 所沢市で住民投票 215日(日)   防音校舎のクーラー設置?!

   防音校舎の除湿工事(冷房工事)の計画的な実施に関する住民投票

  飛行場のそばであるから、うるさい。だから、隣の狭山市では、基地の近くでは、防音校舎でクーラー付き学校である。所沢で基地に一番近い宮前小に六年間、勤務していた。赴任したときまず目に付いたのは、着陸態勢に入るヒコーキ。車輪を出して、轟音をとどろかせ、パイロットの顔が見えるぐらい低空になって降りてくる。なんたって、すぐ先が滑走路であるから。「凄いなあ。かっこいいなあ。」  校長先生が、屋上から学区の様子など説明しているときも、次々に、ヒコーキが着陸してくる。話が聞こえない。

 教室に入ると、防音校舎であるから、窓は、密閉の二重窓。でも、内側の窓は全て外されている。

「何で??」

「暑いからですよ。」

「それじゃあ、防音校舎の意味が無いですね・・・」

 11月3日の航空ショウーの前日は凄い。アクロバット飛行。ブルーインパルスが、宙返りや、逆さ飛行、急降下・急上昇、ハートの形を作り・真ん中を矢で射貫く・・・。びゅーん、ぐおー、きぃーん。凄い。屋上で、子ども達と一緒に見たが、迫力満点。航空祭に行かなくても、ここが最高の見物席。

 実際、授業でも結構邪魔になる。ドリルで計算練習や漢字練習等なら良いが。子ども達が意見を発表したり、説明していたりの時、騒音は困る。中断せざるを得ないからだ。騒音に負けないように、大声で話しても、たいてい負ける。だから、私も子ども達も、自然と23秒沈黙してから、何も無かったかのように、続ける。ただ、やっぱり、道徳で心の問題など、気持ちも集中しているときの中断は困る。お互いに高まっていく気持ちが、中断ですーと、引いていくこともあるのだ。テレビでアナウンサーが、23秒も黙ってしまったら、大変でしょう。それが、宮前小では、毎日、たびたびなのだ。暑いときは、二重窓の、残りのもう一枚も開ける。 それは、やむを得ない。保護者の協力で扇風機が教室に入った。工場で使うような大きいものだ。家庭用のでは、前の2列ぐらいまでしか届かないから。ただ、強力扇風機は良いが、強くするとプロペラヒコーキみたいにブーンと結構大きい音がする。風は強くて、プリントが飛んだり、教科書がめくれたりする。だから、中か弱で使う。もちろん、後ろの方とか、角の方には届かない。だから、強力扇風機の置き場所は、四隅を時間交代にした。でないと、子ども達にまんべんなく行き渡らない。でも、一隅風が当たっているとき、あとの三隅の方の子ども達は、風も無い。第一、うーんと暑いときは、風も暑い。高原にいるわけじゃ無いからなあ。だから、夏は、林間学校ー行く。 夏の暑さも、近年は、半端じゃない。以前は、家にクーラーなんて考えれなかったが、今では、隣の家のクーラーの熱い風が入ってくるので窓も開けられない。やむなく、クーラーを付けたり。極力使わないようにはするが・・・。 また、光化学スモッグも、回数は減ってきているが、ある。この場合も、窓を閉めたり、外遊びを中止したりすることもある。

 私が、宮前小を出てからクーラーが付いたという。子ども達のために、感謝である。道を挟んで、隣が狭山ヶ丘中である。勿論、防音校舎である。宮前小のあとは、狭山ヶ丘中にクーラーが入る予定だったのだ。が、現在の市長が当選して、急転直下、中止。

「快適な生活は多くの犠牲の上になっていることを知るべきだ。」と、予算化を中止。

「扇風機で十分だ。」さらには、

「予算はモノより人に」と、浮いた分で学校相談員を各校に配置。

ちょっと、違うんじゃ無い。ずれてない!! 防音校舎で、暑くてたまらない状態なので、クーラーが必要だよ、ということ。防衛省でも、基準を超えているから、クーラーの補助金も出すよ、と言っている事案。何故、市長の一括でおじゃんになってしまうのか!!

 朝日新聞1月30日の記事では、見出しが、「学校にエアコン いる?いらない?」となっているが、そうじゃないよ。

「防音校舎に、何故、クーラー付けない??!!」

と、するべきでは無いだろうか?

  所沢市民、多くの人に、何が問題なのか理解されているか心配である。でも、是非、子ども達のために防音校舎で他よりさらに暑いところに、クーラーも入れずに勉強させるのは、酷だよ。窓を開ければ、騒音がやってくる。

  宮前小や狭山ヶ丘中の保護者には、入間基地に勤めてる方がたくさんいます。パイロットの方もいます。たぶん、全員、クーラー付けることには賛成だと思います。自分の子ども達が、こんな暑い中、なんでクーラーも付けず、防音の二重窓も外して勉強しているのか、不思議に思っていると思います。ましてや、中学のリスニングとか中断されたら、授業がやりにくいだろうなあ。是非、防音校舎の学校には、クーラーを付けて欲しいものです。 暑くて集中できないところで勉強をすれば、根性が着くとでも思っているのかなあ。普通に考えれば、クーラーぐらい、付けてやればと思うんだがなあ。

 

 

  ぷらぷら美術館・史料館弐です。行ってみたいという、反響もありました。何時でも、案内しますから、声をかけてください。ぷらぷら案内人の清藤です。